「東宝歌舞伎」では、新歌舞伎「宮本武蔵」に端役で出演することになるも、ことごとく、社長の小林一三さんのやり方や考え方に反発心を抱いていたという、森繁久彌(もりしげ ひさや)さんは、様々な失態を繰り返し、ついには、端役どころか、”馬の脚”の役をやらされたといいます。

「森繁久彌は若い頃「東宝新劇団」から「東宝歌舞伎」に左遷されていた!」からの続き

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新歌舞伎「宮本武蔵」は失敗に終わっていた

「東宝歌舞伎」の新歌舞伎「宮本武蔵」では、新しい可能性を求めて、新劇の大家・村山知義さんを演出に迎えるも、結局、失敗に終わったそうですが、

一般的には、因習と形式の中で生きてきた歌舞伎役者たちを村山さんがうまく扱うことができなかったことが、失敗の原因とされているのですが、

森繁さんをはじめ何人かの役者は、死んでいるサムライや、意味のない群衆の一人としてしか出演させてもらえなかったそうで、森繁さんは、それが、「宮本武蔵」が失敗した最大の原因と考えているそうです。

(森繁さんは、第一景「関ケ原の戦場」で、土手にひっくり返って死んでいる野武士の役)

新歌舞伎「宮本武蔵」の出番終了後は幹部用の風呂に入っていた

そんな森繁さんは、この死んでいる野武士役が、午後4時に出演すると、4時10分には終わったことから、その後、お風呂に入って帰ろうとするも、4階と5階にあった大部屋のお風呂は、ガスが惜しいせいか、あと2時間ほど経たなければ、楽屋番がお湯を沸かしてくれなかったそうで、

幹部用の、既にお湯が沸いている2階のお風呂に入りに行き、新しいお湯に浸かりながら、いい気持ちで歌を歌っていたそうですが、

突然、「宮本武蔵」で、 沢庵和尚役を演じていた坂東蓑助さんが、ヌーッと入ってきたそうで、

簑助さん:おいっ、誰だ!貴様は!
森繁さん:四階です
簑助さん:四階なら四階の風呂に入れ!
森繁さん:沸いてないんです
簑助さん:この野郎!

とのやり取りのあと、

森繁さんは、湯気が立っている体のまま、慌てて飛び出して、4階の楽屋に戻りつつ、

ああ、クソッ、一刻も早く幹部にならねば

と、思ったのだそうです。

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ついには「馬の脚」の役をやらされる

そして、その後も、森繁さんは、そんな調子で何度か失敗を繰り返したそうですが、ついに、「ふるさと」という舞台では、中村勘三郎さんの飼う”馬の脚”の役をやらされたそうで、

森繁さんは、著書「森繁自伝」で、

汗くさい馬のぬいぐるみの中での、その幕十分間、それは私のみそぎの時でもあった。 あれこれとこの道を、この生涯を、馬の首をふりながら考えた次第だ。

と、綴っています(笑)

「森繁久彌が若い頃はNHKのアナウンサーとして満州に赴任していた!」に続く


森繁自伝

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