1972年、アメリカ人歌手・ジョーン・シェパードさんと結婚すると、結婚後は、夫婦で有名企業のCMに出演し、仲睦まじい姿を見せていたことから、”芸能界一のおしどり夫婦”と呼ばれるようになった、千昌夫(せん まさお)さんですが、1988年には、シェパードさんと離婚しています。
「千昌夫の最初の妻はアメリカ人歌手のジョーン・シェパード!」からの続き
最初の妻・ジョーン・シェパードと離婚(子供はなし)
公私ともに、仲睦まじい様子を見せ、”芸能界一のおしどり夫婦”と呼ばれるようになった千さんとシェパードさんですが、1988年7月に離婚しています。
(二人の間に子供はいません)
千さんは、1986年、アメリカ人ダンサーのアマンダ・スターナードさんとの交際が発覚しているのですが、このことが離婚の原因となったようで、シェパードさんとは2年の別居の末、離婚が成立したそうです。
(千さんは、愛人だったアマンダさんとの関係をマスコミに隠すため、ハワイの別荘を利用していたそうですが、シェパードさんと離婚が成立し、アマンダさんとの交際がオープンになってからも、アマンダさんを日本に連れてくることはなく、この別荘に住まわせていたそうです)
慰謝料50億円と噂されるも実際は家の居住権を譲っただけだった
ところで、シェパードさんとの離婚で、千さんがシェパードさんに支払った慰謝料は、50億円だと言われていたのですが、
(週刊誌では、シェパードさんは、千さんの資産を720億円と推定し、その半分の360億円を要求するも、実際には、1000億円と言われていた千さんの財産の実に8割が借金だったことが分かり、結局50億円で落ちついた、と書かれていました)
実際には、現金はまったく渡さず、離婚するまで夫婦で住んでいた広尾の家の居住権を譲っただけだったといいます。
(広尾の家は、元ウガンダ大使の公邸で、敷地面積340平方メートル、地下1階、地上3階の豪華なものだったそうで、バブル時代には、時価30億円とも言われたそうです)
最初の妻・ジョーン・シェパードは立ち退きを迫られアメリカに帰国していた
そのため、千さんの経営する会社「アベインターナショナル」が倒産し、1999年10月、借金返済のため、この豪邸が都内の不動産業者に売却されると、シェパードさんは、立ち退きを迫られ、アメリカに帰国することになったそうです。
(この豪邸は、離婚前から多額の抵当権が設定されていて、それを抹消できず、名義は「アベインターナショナルベンチャーズコーポレーション」のままで、シェパードさんへの名義変更ができていない状態だったそうです)
最初の妻・ジョーン・シェパードはアメリカに帰国する際、千昌夫に励ましの言葉を贈っていた
ちなみに、シェパードさんは、2000年3月13日、アメリカへ帰国する際、取材しに来たレポーターから、千さんへのメッセージを求められると、
がんばってほしい。 いつか、彼の問題、なくなる
と、千さんに励ましの言葉を贈ったほか、
前日は、夜遅くまで掃除をしていたことを語ったそうですが、
ある記者が、
千さんがもう少し頑張ってくれたら、この家を出ることもなかったのに
と、言うと、
シェパードさんは、それを遮るように、
それは、わからない。これも人生だから
ワタシ、36年間、とても幸せだった。悪いことなんて、何もなかった
と、笑顔で答えたそうです。
また、シェパードさんは、アメリカに帰国するにあたって、自分の曲を収録したCDを制作したそうですが、それは、販売するためではなく、36年間という日本での生活で、お世話になった人たちへのささやかな贈り物だったそうで、
そのCDには、
日本で過ごしたこの36年間は私に広がりを与えてくれました。
という、メッセージが添えられていたそうです。