お父さんの意向に従って立教大学に進学することになり、立教大学から「11月下旬の冬季休暇第一日より、伊東にキャンプをはる。君の参加を待つ」という、野球部推薦入学のセレクションの案内状が届くと、「キャンプ」という文字に胸が踊ったという、長嶋茂雄(ながしま しげお)さんは、セレクションでは、芦屋高校出身の本屋敷錦吾さんのしなやかな身のこなしに舌を巻いたといいます。

「長嶋茂雄は父親の意向に従い立教大学進学を決めていた!」からの続き

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立教大学野球部推薦入学のセレクションに参加

立教大学野球部から、推薦入学のセレクションの案内状を受け取った長嶋さんは、同年11月下旬、まだ朝暗いうちから、ユニフォームやスパイクを詰め込んだスーツケースを片手に、立教大学野球部推薦入学のセレクションが行われる静岡の伊東スタジアムに行くべく、伊東行きの電車に乗り、合宿所となる伊東スタジアム・ホテルに到着すると、

集合!

という声で、そのホテルの大広間に集まったそうです。

(総勢150人ほどいたそうです)

そして、マネージャーが、

四列横隊で整列しろ!いまから、一人一人に腕章を配る

と、怒鳴り、長嶋さんには、「53」という番号がついた腕章が手渡されたそうですが、

マネージャーからは、

こら、53番。もたもたしていないで、さっさと並ばんか

と、怒鳴られたそうで、

長嶋さんは、

はいっ

と、言いながら、慌てて並んだそうです。

立教大の推薦セレクションではほとんど無名だった

すると、大宮球場で超特大のホームランを打ち、一部では注目された長嶋さんも、「佐倉一高の長嶋」と言ったところで、世の中は広く、ここにいる150人の高校生の大半が、長嶋さんの名前を知らなかったそうで、

その後、広間で、それぞれの自己紹介が始まったそうですが、長嶋さんの番が回ってきても、やはり、反響はなかったそうです。

立教大の推薦セレクションには本屋敷錦吾も参加していた

とはいえ、それは他の生徒も同様で、お互い誰も知らなかったそうですが、たった一人だけ、広間に静かなざわめきを起こした高校生がいたそうです。

それは、芦屋高校の本屋敷錦吾さんで、本屋敷さんは、3年間の高校生活で、甲子園に2回出場し、しかも優勝経験まであったからで、

(田舎の無名に近い高校からやってきた長嶋さんにとって、本屋敷さんの野球歴は、まぶしく思えたそうです)

本屋敷さんが、すっと立って、

ぼく、芦屋高校の本屋敷錦吾です・・・

と、柔らかな関西弁で自己紹介すると、目元が涼しく、笑うと真っ白な歯がこぼれるのが印象的だったそうで、

長嶋さんは、「これがあの有名な本屋敷か」と、まじまじと本屋敷さんの顔を見つめたそうです。

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本屋敷錦吾のしなやかな身のこなしに見とれていた

また、翌朝、ホテルのすぐ下のグランドで、練習が始まると、長嶋さんは、左隣に並んでいた本屋敷さんが、軽々と打球をさばく姿に舌を巻いたそうで、

(長嶋さんは、グローブの使い方からスローイングまでほとんど我流だったため)

名門・芦屋高校で鍛えられたせいか、本屋敷さんの身のこなしは、見とれてしまうほどだったそうです。

(また、長嶋さんは、この時初めて、すぐ近くで、「鬼の砂押」と呼ばれていた砂押監督を見たそうで、砂押監督は、そぎ落としたような頬に、度の強そうな眼鏡をかけ、その奥でするどい目をギョロリと光らせ、細身のノックバットを手放そうとはしなかったそうです)

「長嶋茂雄は立教大の推薦セレクションで杉浦忠から3安打していた!」に続く

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