バッティングの練習では、「鬼の砂押」と呼ばれる砂押監督を釘付けにするほか、後に「史上最強のアンダースロー」と称される杉浦忠さんから3安打放つなど、早くも頭角を現した、長嶋茂雄(ながしま しげお)さんは、無事、推薦で立教大学に合格するのですが、入学式当日からさっそく練習が始まると、長嶋さんのみ、夜間練習まで命じられたといいます。

「長嶋茂雄は立教大の推薦セレクションで杉浦忠から3安打していた!」からの続き

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推薦2位で立教大学に合格

後に「史上最強のアンダースロー」「魅惑のアンダースロー」などと称される杉浦忠さんから3安打放った長嶋さんは、参加者80人中20人が甲子園出場経験者という中、見事、推薦2位で立教大学に合格したそうで、

(1位は本屋敷錦吾さん、3位は杉浦忠さんだったそうです)

1954年春、立教大学経済学部に入学すると、いそいそと入学式のセレモニーに出席しながら、「しばらくは大学生の気分を味わわせてもらえるのかな」とのんびり構えていたそうですが・・・

セレモニーが終わるやいなや、野球部の新人の親方である宗野さんから「集合!」との号令がかかり、選択の余地なく、合宿所で学生服からユニフォームに着替えさせられたそうです。

(みんな口々に、「キビシイな」「初日から練習か・・・」などと、ブツブツ言っていたそうです)

夕食後は一人だけ夜間練習を命じられる

そして、合宿所から東長崎のグランドまで20分で行くように命じられたそうで、長嶋さんたちは、駆け足で東長崎のグランドまで行き、さっそく練習を開始すると、夕方まで練習したそうですが、

長嶋さんが、へとへとになって合宿所にたどり着くと、ご飯を食べる暇(ひま)もなく、

再び、宗野さんが、

長嶋、いるか?

と、言ったそうで、

長嶋さんが、

はいっ

と、返事をすると、

宗野さんは、

よしっ、オレといっしょにこい

と、言ったそうで、

長嶋さんが、一瞬、意味が分からず、何も答えないでいると、

なんと、宗野さんは、

これから夜間練習をやる。こいっ!

と、言ったのだそうです。

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1時間近くひたすら声を出す練習を命じられていた

こうして、長嶋さんは、大急ぎでご飯をかき込み、ランニングでグランドまで行くと、すでに暗かったそうですが、

宗野さんにサードの守備位置につくように言われたことから、サードに立つと、

・・・お前は基本がどうもできとらん。今からオレが教えてやる。いいな?

と、言われたそうで、

長嶋さんが、

はいっ!

と、返事ををすると、

宗野さんは、

よし。よく聞くんだ。野球はまず声を出すことが基本になる。お互いに声を出し合うことから始まるんだ。いいか、ハラの底から声を出してみろ

と、言ったそうで、

長嶋さんは、「はいっ!」と返事をし、

いこうぜ!

元気だそうぜ!

と、下腹に力を入れて思いきりどなったそうですが、

宗野さんは、依然として、ノックバットを手に、黙って長嶋さんの顔を見ていたそうで、

この調子では、まだまだどなり続けないといけないんだと思い、

さあ、いこう!

元気だそうぜ!

と、一時間近く、延々とどなり続けると、

(しまいには声がかれて、喉が痛くなったそうです)

ようやく、宗野さんが、

よし。それまで

と、ストップをかけてくれたそうで、これで無事釈放かと思われたそうですが・・・

それは大間違いで、すっかり日が暮れ、ろくにボールも見えない暗闇の中、そこから、マンツーマンのノックが始まったのだそうです。

(ちなみに、その夜は精根(せいこん)尽き果てて合宿所に戻ったそうですが、新人には、合宿所の掃除、トイレ掃除、風呂当番まであり、練習後もほっとする時間はなかったそうです)

「長嶋茂雄は立教大で砂押監督に暗闇の中キャッチボールを命じられていた!」に続く

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