立教大学では、砂押監督からは、暗闇の中ノックを受け、ボールが見えずとも、グローブに頼らず素手で捕るよう命じられるなど、スパルタ式の猛特訓を受けていたという、長嶋茂雄(ながしま しげお)さんは、その後も、重いバットでスイングするように命じられたそうですが、そのうち、自分が砂押監督から見込まれている事に気づき始めたといいます。
「長嶋茂雄は立教大で暗闇の中素手でノックを受けるよう命じられていた!」からの続き
砂押監督から30分後に自宅に来るよう言われると・・・
砂押監督から暗闇の中ボールを素手で捕る練習をさせられたという長嶋さんは、翌日には、昼間の練習をこなしてようやく合宿所に戻り、ご飯を食べていると、野球部の新人の親方である宗野さんが来て、砂押監督から今から30分後に自宅に来るよう電話があったから、すぐ行くようにと言われたそうで、
長嶋さんは、「30分」か・・・と、チラッと合宿所の柱時計を見ると、バットを片手に握りしめ、お茶も飲まずに飛び出し、それこそ、高田馬場へ助太刀に行く堀部安兵衛の心境で、砂押監督の家まですっ飛ばしたそうです。
(砂押監督の自宅は、この合宿所から3キロ以上離れているため、急ぎ足で歩いて行ってもたっぷり50分、自転車で行っても12~13分はかかったそうです)
砂押監督には重いマスコット・バットでスイングさせられる
そして、砂押監督の家に到着すると、砂押監督の家は、200坪(660平方メートル)ほどの空き地に面していたため、その空き地の前で砂押監督が腕時計をにらみつけて待ち構えていたそうで、
(いつ石灰を引いたのか、地面にはホームプレートとボックスが白々と浮かび上がっていたそうです)
砂押監督:よし長嶋。お前のスイングを見たくて呼んだ。すぐやってみろ
長嶋さん:ここで、ですか?
砂押監督:そうだ
とのやり取りの後、長嶋さんは、合宿からぶらさげてきたバットを構えようとしたそうですが、
その瞬間、砂押監督はそれを押しとどめ、
これを使え
と、手にした白塗りのバットを差し出したそうです。
ただ、そのバットは、普通のバットの倍近くも重いマスコット・バットだったそうで、
(立教のマスコットバットは、通常、ペンキで立教のチームカラーを塗ってあるそうですが、砂押監督から差し出されたものは、練習用のマスコットバットだったそうです)
長嶋さんは、ズシリと手にこたえる重さの、そのバットを振りながら、
・・・ぼくは砂押さんに見込まれている。
と、奇妙な感情を持ったのだそうです。
砂押監督に見込まれ特別に特訓されていた
その後も、長嶋さんは、通常の練習が終わった後、本屋敷さんや高橋さんと共に、砂押監督から、ポジションごとに、ノックのトレーニングを受けていたそうですが、
身のこなしがいい本屋敷さんやショートの高橋さんは、だいたい10本がノルマだったのに対し、スローイングはできても、下半身がまだできておらず、相変わらず腰高の守備だった長嶋さんだけは、50本、100本ということが多かったそうで、長嶋さんを鍛え上げようと、砂押監督から特別にしぼられたそうです。
(しかも、ただ捕球するだけではダメだったそうで、流れるようにスムーズに処理したうえ、一塁送球も正確無比でなければ「1本」にとってもらえなかったそうです)
ちなみに、砂押監督はノックの名人だったそうで、ほとんど芸術的といってよく、もう一歩、または半歩のところまでは追いつけても、あざ笑うかのように打球はグローブの1~2センチ横を抜けていったそうで、しかも、打球が近づくにしたがって、そのボールが活きてくるため、手に負えなかったそうです。
また、砂押監督は、練習中、誰かがミスをすると、全員に連帯責任をとらせる方式を採っていたそうで、そのため、一人でもミスをすると、みんなに迷惑をかけることから、少しも気が抜けず、真剣に練習をせざるを得なかったそうです。
「長嶋茂雄は砂押監督から猛特訓を受けるもひたむきさに惹かれていた!」に続く