父・長嶋茂雄さんにより、長嶋家の全てのビジネスから排除されたという、長嶋一茂(ながしま かずしげ)さんですが、その後、確執はさらに泥沼化し、2016年には、茂雄さんとの関係で持っていた読売巨人軍球団職員としての「野球振興アドバイザー」という肩書きも剥奪され、読売巨人軍球団職員でもなくなり、長嶋家と完全に決別したといいます。
「長嶋一茂は父・長嶋茂雄に長嶋家の全ビジネスから排除されていた!」からの続き
長嶋家の確執は泥沼化していた
2009年6月、父・長嶋茂雄さんにより、長嶋家の全てのビジネスから排除された一茂さんですが、その後、確執は解消されるどころか、さらに泥沼化したそうで、
2015年正月には、茂雄さんのドキュメント番組「独占!長嶋茂雄の真実~父と娘の40年物語~」が放映されているのですが、番組内では、一茂さんには一切触れられませんでした。
もともと長嶋家はバラバラだった?
また、一茂さんは、2015年5月、「週刊新潮」(2013年5月16日号)に「長嶋家家族崩壊」という記事を掲載されたことに対し、名誉毀損で提訴しているのですが、
証人尋問のため出廷した際には、長嶋家や親子の関係について、
もともと長嶋家はバラバラで、母の生前も6人そろって旅行に行ったことも、食事だってそろってしたことは一度もないです
と、語るほか、
自分が排除された裏には、妹の三奈ほか、母・亜希子の弟の妻Aの存在があり、父・長嶋茂雄が、脳梗塞の後遺症もあり、Aへの依存度が強まって「すべて言いなり」になっており、Aを「後妻」とさえ認識していることなども証言しています。
読売巨人軍球団職員「野球振興アドバイザー」の肩書きが剥奪されていた
そして、2016年には、「週刊現代」(2月6日号)により、一茂さんが、茂雄さんとの関係で持っていた、読売巨人軍球団職員としての「野球振興アドバイザー」という肩書きも剥奪され、既に読売巨人軍球団職員でなくなっていることも報じられます。
記事によると、一茂さんは、2004年に脳梗塞で倒れた茂雄さんと球団の橋渡し役や、スポークスマンとして、巨人から「球団代表特別補佐官」に任命され、その後は「野球振興アドバイザー」の肩書きが付与されていたそうですが、すでに、職員名簿から一茂さんの名前は削除されており、球団とは関係が切れているとのことで、
これにより、一茂さんは、巨人軍の終身名誉監督である茂雄さんと完全に訣別(けつべつ)していたことが明らかとなったのでした。
ちなみに、某関係者は、
一茂も母親の言うことには素直に従っていたし、亜希子さんは姑ともそれなりにうまくやっていました。やはり07年に妻として、母として長嶋家を支えてきた亜希子さんが亡くなったのは大きいでしょうね。
長女や元レーサーとして知られる次男の長島正興氏も、それぞれの生活もあり、対立する2人には、あまり関わろうとはしていないようです
と、語っています。
長嶋家にまつわる過去の映像やハワイロケの放送を妹・三奈に却下申請されていた
そして、最初に確執が報じられてから10年以上が経過した2020年にも、バラエティ番組「直撃!シンソウ坂上」(1月放送)の番組の企画で、一茂さんを特集した2時間スペシャル版の制作中、一茂さんと三奈さんの確執が表面化していたといいます。
それは、番組では、一茂さんが「長嶋家の秘密を語る」という目玉企画を提案し、その一つがハワイでのロケだったそうで、母・亜希子さんのお墓や長嶋家ゆかりの場所などを収録したそうですが、
番組スタッフが過去の映像の使用許可を(三奈さんが代表を務める)「オフィスエヌ」に求めたところ、三奈さんに拒否されたのだそうです。しかも、ハワイロケの放送も却下申請を受けたそうで、現地でのロケ映像はボツになったのだそうです。
また、一茂さんも、番組内で、
(父・茂雄さんについて)だいぶ距離感が出ちゃってるから、いまも。(関係の修復は)なかなかいかないんじゃないかな。親子といえ別人格
(妹・弟について)母の葬式以来、会っていない
と、いまだに確執があることを明かしています。
さて、いかがでしたでしょうか。
長嶋一茂さんの、
- 年齢は?出身は?身長は?
- 本名は?ミドルネーム(洗礼名)は?ハーフ?
- 極真空手は黒帯
- 極真空手を始めたのは「パニック障害」を克服するためだった
- 子供の頃から空手家の大山倍達に憧れていた
- 「極真空手」入門してからは寝ても覚めても空手の練習ばかりしていた
- 「パニック障害」で風呂にも入れなかった
- 父親は元プロ野球選手でミスタージャイアンツ・巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄
- 父親の長嶋茂雄は「ミスター・プロ野球」と呼ばれ、絶大な人気を誇っていた
- 母親はマルチリンガルを活かし「第18回オリンピック東京大会」でコンパニオンを務めていた
- 一番上の妹は有希
- 二番目の妹はスポーツキャスターでタレントの長島三奈
- 弟は元レーシングドライバーの長島正興
- 幼少期から身体が大きく食欲も旺盛だった
- 運動神経抜群も徒競走では一番になることができなかった?
- 特に親友でライバルの杉浦夏樹には勝つことができなかった?
- 親友の杉浦夏樹によると長嶋一茂の方がよく勝っていた
- 両親の教育方針で何でも自由にやらせてもらっていた
- 長嶋家では何をしても怒られることがなかった
- 両親には一つのことを除き強制されたことはなかった
- スイミングスクールだけは例外で強制的に通わされていた
- 水泳は背筋を鍛えるためだった?
- リトルリーグに入団するとマスコミに追いかけられる
- 父・長嶋茂雄に野球を強制されたことはなかった
- 野球の技術が未熟にもかかわらず特別扱いされていた
- マスコミに追いかけられることがストレスだった
- 小学5年生の時に野球を辞めることを決意
- 野球を辞めた後も父のようになりたいと思い続けていた
- 当時マスコミが騒がずリトルリーグを続けることが出来ていたら・・・
- 親友たちは特別扱いせず接してくれた
- 親友たちとは野球の話をしなかった
- 少年時代には父にキャッチャー用具一式を買ってもらい嬉しくて仕方なかった
- 野球の道具が豊富にある環境で育つも道具を粗末に扱ったことはなかった
- 野球を辞めた後は親友の杉浦夏樹たちと「JWS」を結成し冒険に熱中していた
- 夜中にサイクリングで競走していた
- 中学生になっても野球を再開する気にはなれなかった
- 父・長嶋茂雄が巨人軍の監督を解任される
- 父・長嶋茂雄を解任した巨人軍に対する復讐の気持ちから野球を再開することを決意
- 心に思い描いていた巨人軍への復讐のシナリオとは?
- 親友の杉浦夏樹だけに高校で野球を再開することを打ち明けていた
- 高校の野球部では地肩の強さを見込まれピッチング練習を始めるも・・・
- 高1の時に右肘を剥離骨折し医師に野球を辞めるよう言われていた
- 野球を辞めるつもりはなかった
- ピッチャーを断念しバッターに専念
- ボールを遠くへ飛ばすためウエイトトレーニングに励んでいた
- 文化祭の練習試合では素人のようなミスをしていた
- あまりにも技術が未熟でしばしば見物人から罵られていた
- 潜在能力は非常に高かった
- 野球関係者からも超大型選手になることを有望視される
- 野球の英才教育を受けていた矢作公一は中学卒業後の進路に迷い立教高校を見に来ていた
- 矢作公一は長嶋一茂がバンザイしたボールを追いかける姿に清々しさを感じていた
- 矢作公一は長嶋一茂と一緒に野球がしたくて立教高校に進学していた
- 矢作公一の「ドカベン」体型を長嶋一茂だけは笑わなかった
- 高校2年生の秋には4番ファーストでチームの主軸に成長していた
- 甲子園出場は果たせなかった
- 「サボりの天才」「サボり屋」と呼ばれていたが・・・
- 夜の影練(影で練習)に励んでいた
- 練習中に水を飲んではいけない決まりを破り自販機にジュースを買いに行っていた
- 合理性よりも上下関係が重視される社会に反発していた
- 無駄なことはしたくないという態度から野球部の同期の三雲とよくケンカをしていた
- 大学4年間でプロで通用する選手になるため雑用をしている時間が惜しかった
- 大学進学後も野球に専念するため勉強はしたくなかった
- 立教大学進学後はメキメキと頭角を現していた
- 秋季リーグ戦で早稲田大学に勝利
- 優勝のかかった法政大学戦ではほとんど活躍できずに敗退
- 東京六大学秋季リーグで優勝を逃すも落胆を表には出さなかったが・・・
- 彼女の実家で食事をしているとき不覚にも泣きだしてしまっていた
- 泣いているうちに過去の悔しかった出来事がこみ上げてきていた
- 大学4年生の時にはプロ野球のスカウトから注目されるようになっていた
- 横浜大洋の古葉竹識が長嶋一茂の獲得に最も熱心だった
- 巨人入団の夢は叶わなかった
- ヤクルトと横浜大洋から一位指名され抽選の結果ヤクルトに入団
- ヤクルトの練習ではいきなり一軍扱いも全く緊張せずヒーローになると確信していた
- 一軍選手との合同自主トレーニングも全く緊張しなかった
- プロの世界に入っても一切不安を感じることはなかった
- 練習を重ねればプロの選手たちにすぐに追いつけると確信していた
- オープン戦でプロ初安打をホームランで飾るも・・・
- プロ初安打がホームランとなるもマグレ当たりだった
- ヤクルト入団1年目は低迷が続いていた
- ベーブ・ルースの霊やUFOに語りかけるなど精神のバランスを崩していた
- プロ2年目で軌道に乗り始めるも・・・
- 野村克也がヤクルトスワローズの監督に就任する際に課された2つのノルマとは?
- 野村克也がプロ入り直後の長嶋一茂についてコメントした内容とは?
- 野村克也監督と確執があった
- 野村克也監督は長嶋茂雄に嫉妬心を抱いていた
- 野村克也監督が長嶋一茂をイジメていたエピソードは数え切れないほど?
- ミーティングで義務づけられていた「野村ノート」を一人だけつけていなかった
- 野村克也はヤクルト監督時代ミーティングで長嶋茂雄の悪口を堂々と言っていた
- ヤクルトスワローズで同僚だった笘篠賢治の証言
- 野村克也監督のご機嫌取りをするコーチからも嫌がらせを受けていた
- 試合に出られるはずが別の選手が出場することになっていたことも
- 毎日のように陰湿な嫌がらせを受け続けていた
- 気を紛らすため毎晩のように六本木や銀座で朝まで飲んだくれていた
- 夜しらふで床に入るのが怖かった
- 野村克也監督を憎んではいなかった
- ヤクルト球団にアメリカへの野球留学を直訴していた
- 父・長嶋茂雄に反対されるもドジャースのマイナーリーグの春季キャンプに参加
- アメリカの教育方法が性に合っていた
- アメリカでは自分から聞くまで何も教えてくれなかった
- マイナーリーグ(1A)での成績がパッとしないまま帰国
- 帰国するもヤクルトスワローズは14年ぶりの優勝目前で出る幕がなかった
- 父・長嶋茂雄が巨人監督に復帰したことで巨人に移籍(金銭トレード)
- 巨人移籍が嬉しくてたまらず練習に熱中していた
- 二軍で文句なしの成績を残し一軍に昇格
- 巨人移籍1年目のオープン戦では大活躍していた
- 巨人移籍後初ホームランの際は父・長嶋茂雄はベンチ際でうろうろしていた
- 右肘と右膝の状態が悪化
- 名医・フランク・ジョーブによる手術を受けるも手術前よりも悪化
- 右肘の痛みは消えず1995年シーズンは一軍出場なし
- 一軍に復帰するも土井正三コーチに暴言を吐き再び二軍に降格
- 父・長嶋茂雄から戦力外通告を言い渡される
- 現役時代(プロ野球選手時代)の成績
- 明石家さんまからは戦力外通告される前に現役引退後の出演オファーを受けていた
- 「さんまのSUPERからくりTV」の天然ボケキャラで大ブレイク
- 現役引退発表直後テレビやラジオから出演オファーが殺到していた
- 自分でオファーの対応&営業をしていた
- 「長嶋一茂のデビューからの出演ドラマ映画CMを画像で!」
- 出演作品(映画)
- 出演作品(テレビドラマ)
- 出演作品(バラエティ)
- 出演作品(CM)
- 著書
- 受賞歴
- 週刊文春で「落書き事件」が報じられる
- 江角マキコが長嶋一茂の自宅に落書きするようマネージャーに指示していた?
- 江角マキコの母親はマネージャーが勝手にやったことと語っていた
- 江角マキコが遅まきながら弁明するも・・・
- 江角マキコには批判が殺到していた
- 事の発端は江角マキコのママ友からの嫌がらせの告白
- ほとんどの保護者たちは取材に対し口をつぐんでいたが・・・
- 江角マキコの話が嘘だと抗議する文書が「女性セブン」に提出される
- 江角マキコは善意を受けたママ友たちを裏切る行為をしていた?
- 江角マキコに関する学校関係者の証言
- 保護者A子らが抗議文を書いた理由
- 妻・長嶋仁子はママ友グループのリーダーで江角マキコと対立していた?
- 妻・仁子が率いる「反江角マキコ派」は江角マキコに対し激しいイジメを行っていた?
- 江角マキコによる自宅への落書きは妻・仁子への復讐だった?
- 江角マキコのマネージャーはあくまで自分の単独犯行だと言い張っていたが・・・
- 江角マキコがマネージャーに落書きを指示していたのは周知の事実だった?
- 江角マキコのマネージャーが全ての責任を負っていた
- 江角マキコのマネージャーは警察の捜査が終わらぬうちに退職していた
- 江角マキコのマネージャーは現在は消息不明
- 長嶋一茂が落書き事件について「ダウンタウンなう」で言及していた
- 妻・仁子との馴れ初めは?
- 妻・仁子の勧めで個人事務所を設立していた
- 九頭龍神社で結婚式を挙げ、父・長嶋茂雄の自宅から徒歩10分の場所に新居を建てる
- 妻・仁子は銀座のNo.1ホステスだった
- 子供は二卵性双生児の娘2人
- 妻・仁子は性格が悪い?
- 妻・仁子と妹・長島三奈は対立している?
- 妻とは将来別居することで合意している
- 大のハワイ好き
- 「羽鳥慎一モーニングショー」では1ヶ月もハワイで夏休み?
- 「羽鳥慎一モーニングショー」ではハワイの発言について箝口令が敷かれていた?
- 父・長嶋茂雄と13年会っていないことを告白
- 父・長嶋茂雄の記念品や愛用品を無断で売却し、妹の三奈が激怒していた
- 「長嶋茂雄」の商標を無断で登録し、妹の三奈との対立が激化
- 父・長嶋茂雄は脳梗塞で倒れた後、世話をしてくれた妹・三奈側についていた
- 「バーニング」の周防郁雄社長らに仲介を依頼するも和解には至らなかった
- 父・長嶋茂雄より長嶋家の全てのビジネスから排除されていた
- 長嶋家の確執は泥沼化していた
- もともと長嶋家はバラバラだった?
- 読売巨人軍球団職員「野球振興アドバイザー」の肩書きが剥奪されていた
- 長嶋家にまつわる過去の映像やハワイロケの放送を妹・三奈に却下申請されていた
に、ついてまとめてみました。
これまでは、天然ボケキャラで人気を博すも、どうしても、「長嶋茂雄の息子」というイメージが先行しがちでしたが、近年は、歯に衣着せぬ的確なコメント力が業界内外から高い評価を受け、番組ゲストとして出演すると視聴率がアップすると、2018年、53歳にして、さらなるブレイクを果たした一茂さん。
実は、一茂さんは、野球界を引退後、親交のあった秋元康さんから、
一茂くん、タレントは芸を売り物にするものだ。君にはそれがないかわりに、生きざまというすごい売り物がある
と、言われたことがあったそうで、これをきっかけに、「負け犬」という意識(コンプレックス)を逆に利用して、自分が敗者であることを認め、自分の弱みをさらけ出して生きていこうと決意していたとのこと。
そんな一茂さんの生き様からは今後も目が離せません。