日本大学卒業後、テレビ朝日に入社すると、スポーツ局に配属され、記者として活動するようになった、長島三奈(ながしま みな)さんは、1998年から、「熱闘甲子園」のメインキャスターを務めるようになるのですが、やがて、「熱闘甲子園」は、自身のライフワークともいうべき仕事になったといいます。

「長島三奈が若い頃は田村亮子(谷亮子)の全日本選手権の取材をしていた!」からの続き

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「熱闘甲子園」でメインキャスターを務めていた

三奈さんは、1998年に、夏の全国高等学校野球選手権大会のダイジェスト番組「熱闘甲子園」でメインキャスターに起用されると、2000年を除き、2013年まで、毎年、メインキャスターを務めているのですが、

その後も、フリーの記者として、全国各地で高校野球を取材するほか、2021年と2022年には「熱闘甲子園」に一夜限りの出演をし、2021年8月19日には、三奈さん自身が取材した企画VTRで出場校を紹介し、2022年8月13日には、甲子園初出場の札幌大谷高校の森寛人選手を取材しています。


2010年、沖縄大会開幕直前、選抜大会優勝の興南・島袋洋奨投手を取材する三奈さん。

当初は「熱闘甲子園」のオファーを受けるかどうか迷っていた

ちなみに、三奈さんは、「熱闘甲子園」のキャスターのオファーがあった時、この仕事が自分に務まるのかと、1ヶ月ほど悩んだそうですが、

初めての世界(高校野球)に飛び込んでみるのもいい経験になるかもしれないと、引き受けることにしたのだそうです。

「熱闘甲子園」には並々ならぬ思いがあった

そんな三奈さんは、「熱闘甲子園」で、メインキャスターを務めたことについて、

91年にテレビ朝日に入社して、スポーツ取材に携わっていましたが、高校野球は取材したことがなかったんです。8月になると、1日中テレビがついてるな、くらいの感覚で。

98年、このキャスターを引き受けて、大げさではなく、私の人生が大きく変わりました。一回り以上、年下になる球児たちに人生で大切なものを多く学びましたし、高校野球はもう仕事ではなく、ライフワークです

と、語っており、

朝日放送の某関係者も、

三奈さんの甲子園へのこだわりはハンパなかったですね。毎年、甲子園に備えて、選手のデータを書き込んだ大学ノートを新調。几帳面な文字で、ぎっちりと書いてある。

時間が合えば、地方の有力校への取材も惜しまない。恐らく、甲子園の開催時期を含めて年に2カ月間は、完全に『熱闘甲子園』に専念していましたね

と、三奈さんが並々ならぬ思いで「熱闘甲子園」に取り組んでいたことを明かしています。

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松坂大輔ら第80回大会(横浜高校対PL学園の17回延長戦)の球児たちとは今でも交流が続いている

ちなみに、三奈さんは、1998年、第80回大会では、伝説の「横浜高校対PL学園の17回延長戦」も取材しているのですが、選手たちが大人になってからも近況を報告しあったり、食事をするなど、交流を続けているそうで、

今年(2014年)、西武のキャンプに行ったとき、(菊池)雄星くんの球をブルペンキャッチャーとして受けていたのが、準優勝した京都成章のキャッチャー・タイチ(吉見太一)だったんです!

もう、会った瞬間にお互いわかって、10年以上間が空いていたのに『タイチー』『三奈さん』と呼び合えちゃうんですよ。

PLにいた井関くん(井関雅也)は社会人・東芝で野球をしていましたが、今は上がって、営業をやっているんです。『僕、テレビ朝日にも行くんですよ』と言うので、『もう、私の息子ということで、もっともっとアピールしなさいよ』って(笑)

野球を続けていても、サラリーマンになっても、彼らの動向は気になります。この年からキャスターになり、大会の一部始終を見られたというのは、本当にツイていたし、幸せだな、とつくづく思いますね

今、振り返ってみてもすごい夏でしたね。マツ(松坂大輔選手)がいて、クボちん(久保康友選手)がいて、スギー(杉内俊哉選手)に、ムラッチョ(村田修一選手)もいた。ディレクターに甲子園って、毎年こんなにすごいんですか? と聞いたら『いや、さすがに今年は例外だね』と言われました(笑)

と、今も親しみを込めて、選手たちを当時の愛称で呼んでいます。

そして、かつての球児たちはもちろん、現役の球児も、三奈さんのことを、親しみを込めて「三奈ちゃん」「三奈さん」と呼び、お姉さんのように慕っているそうで、

某スポーツ局関係者も、

三奈さん本人は、『この仕事が若さの秘訣』とおどけていましたが、高校野球の指導者にしてみれば、憧れのミスターの娘さんだけにウケもいい。

さらに、高校球児たちも、男性記者よりもお姉さんタイプの三奈さんのほうが素のキャラクターを見せられる。そんな相乗効果もあり、独自のポジションを築き上げた

と、語っています。

「長島三奈は父・長嶋茂雄をつきっきりで看病していた!」に続く

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