在日韓国人として日本で生活するも、死ぬまで日本語を覚えようとしなかったお母さんの影響を受け、大韓民国籍のままでいることを選んだという、張本勲(はりもと いさお)さんですが、何度も帰化に心が揺れる中、きっぱりと帰化しないと心に決めた出来事があったといいます。
「張本勲の国籍は大韓民国籍!帰化しない理由とは?」からの続き
同胞の思いを知って帰化しないと決めていた
実は、張本さんは、1974年、オフシーズンに韓国に行った際、帰化することに心が揺れていることを知人にほのめかしたそうですが、
この話はたちまち広がり、東京で発行されている韓国系の新聞「統一日報」に「張本選手には絶対帰化してほしくない」という投書が載るほか、韓国滞在中も、「帰化しないでくれ」という電話が朝から晩までひっきりなしにかかってきて、知人も次々と訪ねて来たそうで、
この予想外の反響に驚き、また、在日韓国人の野球選手である自分に対する同胞たちの思いを改めて知り、胸にこみ上げてくるものがあったそうで、この時、きっぱりと「帰化はしない」と決めたのだそうです。
同じ在日韓国人の金田正一は帰化していた
ちなみに、張本さんと同じ在日韓国人である金田正一さんは、張本さんがプロ野球に入ってすぐの頃、帰化しているのですが、
金田さんは、現役引退後は日本でコーチや監督になろうとしていたことから、韓国籍のままでは何かと障害になると帰化したことを、張本さんは理解していたそうで、
金田さんから、「ハリよ、わしゃ日本に帰化するで」と打ち明けられた時も、正直、少し寂しい気持ちがあるも、個人の生き方なので仕方がないと思い、「そうですか、人それぞれ生き方が違うのですがから、先輩の好きなようにしてください」と言ったそうです。
(張本さんは、かねてから、金田さんを「先輩」と呼んで尊敬していたそうで、このことで、金田さんへの尊敬の気持ちが変わることはなかったそうですが、金田さんが韓国出身であることを隠そうとしているのでは、とは気になったそうです)
民族的侮蔑を含むヤジに怒り足蹴りにする事件を起こしていた
そんな中、張本さんは、日本ハム時代の1974年5月3日、川崎球場で行われたロッテ戦の試合前、ロッテの城之内邦雄選手を蹴るという事件を起こしているのですが、
実は、その直前の5月1日、ロッテ戦の地方球場での試合でバッターボックスに立っている際、城之内さんにベンチから民族的侮辱を含むヤジを飛ばされていたそうで、
5月3日、川崎球場の外野席で練習中の城之内さんの所に駆け寄り、「いい年をして、汚いことを言うな」とたしなめたそうですが、城之内さんには「ベンチでヤジるのも仕事のうちさ」と言い返され、口論になり、つい、足蹴りしてしまったのだそうです。
金田正一には一時期わだかまりがあった
すると、城之内さんのケガは左太ももに全治5日のかすり傷だったそうですが、ロッテは記者会見を開き、「張本にやられた」と言って、日本野球連盟に事件を提訴したそうで、張本さんは制裁金一万円を科されたのだそうです。
ただ、張本さんが一番悔しかったのは、当時、ロッテの監督だった金田さんが、事件のいきさつを知りながら、
試合中のトラブルではない。スポーツマンにあるまじき行為だ
と、一方的に張本さんを批判するだけで、城之内さんのヤジについては注意しなかったことで、
たとえ帰化しても、同じ民族の血が流れているのに、なぜ自分の気持ちを分かってくれないのかと、そのことが残念で仕方なかったそうです。
(このことにより、金田さんには、一時期、わだかまりがあったそうです)
最終的には金田正一と打ち解けていた
それでも、最終的には、どちらともなく打ち解けていたそうで、金田さんは、張本さんが日本ハムからトレードの話があった際には、「日本ハムにいてはダメになる。ロッテに来れば大変な記録を残せる」とトレードに動いてくれたほか、張本さんが巨人に入団する時も、何かと相談に乗ってくれたそうで、
張本さんが、後日、お母さんにこの話をすると、
お母さんは、
帰化しても、それが民族の血というものだよ
と、言ったそうです。
「張本勲の幼少期は在日韓国人の両親のもと貧乏だった!」に続く
金田正一さん(左)と張本さん(右)。