1994年には、プロ野球史上初となる、最終試合(10月8日)が優勝決定戦となる中日戦で、見事、勝利して、リーグ優勝を果たすほか、1996年には11.5ゲーム差を逆転しリーグ優勝(メークドラマ)した、長嶋茂雄(ながしま しげお)さん。今回も、引き続き、長嶋さんの監督時代の成績をご紹介します。
「長嶋茂雄は1996年には11.5ゲーム差を逆転優勝(メークドラマ)していた!」からの続き
1999年は上原浩治、二岡智宏、高橋由伸が活躍もシーズン終盤に高橋由伸が大ケガで離脱し2位に終わる
1999年には、大物ルーキーの上原浩治投手が20勝を挙げ、同じく新人の二岡智宏選手も遊撃に定着するほか、2年目にして4番に起用した高橋由伸選手が3割30本を記録するなど、若手が活躍するのですが、
シーズン終盤に、高橋選手が外野フェンスに衝突して鎖骨を折る大ケガを負い離脱してしまうと、松井秀喜選手ではなく、大不振の清原和博選手を4番に置き続けたことで、これが災いし、2位に終わってしまいます。
(長嶋さんの采配が疑問視されました)
2000年は王貞治率いるダイエーを下し日本一に
それでも、2000年には、ダイエーからFAした工藤公康投手、阪神を自由契約になっていたダリル・メイ、ドラフトで高橋尚成さんを獲得するなど戦力補強すると、4年ぶりにリーグ優勝を果たし、
日本シリーズでも、王貞治さん率いるダイエーと対戦すると、第1戦、第2戦は負けるも、その後、4連勝して、見事、日本一に輝きます。
(王さんとの対決はON対決として注目を集めました)
巨人の監督を勇退し巨人軍終身名誉監督に就任
そんな長嶋さんは、2001年には、V2を目指すも、リーグ優勝出来ず、2001年9月28日、監督辞任を表明すると、巨人軍の「終身名誉監督」として球団専務に就任することが発表されます。
(後任監督は一軍ヘッドコーチだった原辰徳さんが昇格)
ちなみに、長嶋さんは、発表記者会見で、吉田填一郎アナウンサーから、
長嶋さんにとって野球とは何ですか?
と、質問されると、
野球というスポーツは人生そのものです
と、答えています。
監督時代の成績
それでは、ここで、長嶋さんの監督としての成績をご紹介しましょう。
1975~1980年、1993~2001年と、計15年、読売ジャイアンツの監督を務め、通算1034勝、リーグ優勝5回、日本一2回、Aクラス12回と、素晴らしい成績を残しています。
アテネ・オリンピックの監督に就任するも・・・
そんな長嶋さんは、巨人の監督を勇退した翌年の2002年12月2日には、アテネオリンピックを目指す野球日本代表チームの監督に就任すると、
2003年11月に行われたアジア選手権では、中国・台湾・韓国に勝利して優勝し、オリンピックへの出場を決めるのですが・・・
「長嶋茂雄は脳梗塞で倒れるも通常の3~4倍のリハビリを敢行していた!」に続く