1970年8月26日の広島戦で、外木場義郎投手から左こめかみに死球を受け、4日間もの間、意識不明となっていた、田淵幸一(たぶち こういち)さんですが、実は、この日、外木場投手からは、最初の打席にも肘に死球を受けていたといいます。
「田淵幸一は若い頃こめかみに死球を受け4日間意識不明になっていた!」からの続き
外木場義郎は田淵にカモにされていたことから厳しいコースを攻めていた
外木場投手は田淵さんを苦手にしており、このシーズン、田淵さんには、12打数6安打4本塁打とカモにされていたことから、「胸元の厳しいところを突かなければ抑えられない」というプレッシャーがあり、胸元をえぐるシュートを多投していたそうで、
実は、この日、最初の打席にも田淵さんの肘に死球を与えていたのですが、田淵さんはホームベース付近に踏み込んでピクリとも動かなかったそうで、阪神ベンチの中には、その姿を見て、最悪の事態を覚悟した者もいたのだそうです。
そんな中、ランナーを一人置いたこの場面で、外木場投手は、さらに厳しいコースを攻めようと投げた球が、田淵さんの左こめかみに直撃したのでした。
死球を受けた日は夏の暑さで体調に異変を感じていた
また、田淵さんは、この日、練習を終え、選手食堂でカレーライスを食べた後、ロッカーの長椅子でうたた寝をしていたそうで、
暑い日が続いて、かなり疲れていたとはいえ、普段はうたた寝などすることはなかったため、自身の体調に異変を感じていたそうで、本調子ではなかったこともあり、外木場さんの球を避けきれなかったのかもしれません。
田淵の死球により耳あて付きヘルメットがバッターに義務付けられるようになった
ちなみに、この田淵さんのこめかみ死球(デッドボール)がきっかけで、NPB(日本野球機構)では、耳あて付きヘルメットがバッターに義務付けられるようになったそうですが、
広島カープの衣笠祥雄選手は、耳あてがついたヘルメットをかぶると視界が遮られ、逆に頭部付近のボールから逃げられなくなると主張したそうで、NPB側は衣笠さんの主張を一部認め、プロで一定程度の年数を満たした選手に限り、耳あてなしヘルメットの使用も許可したのだそうです。
(王貞治さんも衣笠さんと同じ理由で、耳なしヘルメットを着用し続けたそうです)
「田淵幸一は江夏豊の球宴9連続三振の時の捕手だった!」に続く
外木場投手からこめかみに死球を受け、血まみれの状態で運ばれる田淵さん。