1977年のドラフト会議直前には、阪神タイガースよりドラフト指名の可能性が伝えられるも、実際には指名されず、がっかりしたという、落合博満(おちあい ひろみつ)さんですが、翌1978年のドラフト会議では、ロッテオリオンズから3位指名され、契約金2700万円、年俸360万円で、ロッテに入団しています。ただ、その年、ロッテは不人気で、ドラフト2位の選手とドラフト4位の選手に入団拒否されていたといいます。

「落合博満は阪神タイガースにドラフト指名の可能性を伝えられていた!」からの続き

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1978年ドラフト3位でロッテオリオンズに入団

1977年のドラフト会議直前に、阪神タイガースに指名の可能性を伝えられるも、ドラフト会議当日、阪神からは指名されず、また、どこの球団からも指名されなかった落合さんは、これで、まず、自分がプロ入りすることはないと思ったそうです。

しかし、1978年、第25回アマチュア野球世界選手権日本代表に選ばれ、出場すると、10球団から誘いを受けたそうで、

落合さんは、訪ねてきたスカウトに全員、

ドラフトに挙げてくれたら、おたくへ行きますよ

と、伝えたそうです。

プロの球団ならどこでもいいと思っていた

すると、落合さんは、この年(1978年)のドラフト会議では、ロッテオリオンズから3位指名を受け、契約金2700万円、年俸360万円でロッテに入団しているのですが・・・

実は、この年、ロッテは、ドラフト2位の菊地恭一選手(東芝)と4位の武藤信二選手(我孫子高)に入団拒否をされるほどの、不人気球団だったといいます。

それでも、落合さんがロッテ入りを決めたのは、後で後悔したくなかったからだそうで、

契約金は問題じゃない。私はただプロでやりたいだけです

と、言って、ロッテ球団を驚かせたそうです。

(ダメだったらまた別の仕事を探せばいいと言うくらいの気持ちだったそうです)

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右肩(守備)に不安があったことからどの球団からも評価はそれほど高くなかった

ちなみに、右肩(守備)に不安のあった落合さんの評価は、どの球団もそこまで高くなかったそうで、実際、ロッテも、前年の1977年には、全日本の4番だった強打の外野手・菊地恭一選手(東芝)を2位指名しています。

(ロッテのスカウト・三宅宅三氏によると、東芝府中の関係者に、「三宅さん、(菊地より)落合の方が上ですよ」とハッキリ言われていたそうですが)

そんな中、1978年、落合さんは、ついに、ロッテにドラフト3位で指名されたのですが、落合さんをスカウトした城之内邦雄氏は、指名理由について、「変化球に強く、投手が苦手とするタイプの打者」という一点のみだったと明かしています。

(当時、巨人(長嶋茂雄監督)も落合さん指名に動いていたと言われているのですが、江川卓投手との契約を巡って大事件に発展し(江川事件)、巨人がドラフトをボイコットしたため、落合さんが巨人に指名されることはありませんでした)

「落合博満はロッテ入団直後に山内一弘監督に打撃指導されるも拒否していた!」に続く

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