星野仙一監督のもと、阪神のコーチに就任すると、星野さんを立て、自身は「黒子」に徹していたという、田淵幸一(たぶち こういち)さんですが、「阿吽(あうん)の呼吸」で「怒鳴られ役」まで担っていたといいます。
「田淵幸一の阪神コーチ時代は監督の星野仙一を立て黒子に徹していた!」からの続き
阪神球団は星野仙一が監督に就任するにあたり鉄拳制裁を懸念していたが・・・
当時、球団社長だった野崎勝義氏は、
星野さんを監督に迎えるにあたり、不安はありました。正直言って、中日時代のやり方では、ウチの選手には合わないかもしれない、と思っていました。
監督に怒鳴られ、けなされ、時には殴られる。ウチの選手は反骨精神どころか、逆にソッポを向き、その救いをコーチに求める。それがずっと続いていたウチの体質でしたから
と、語っているのですが、
(星野さんは、中日監督時代、選手に激しい鉄拳制裁を加えていました)
この心配は、杞憂(きゆう)に終わったといいます。
星野仙一監督からは選手以上に怒鳴られ、時には尻を蹴り上げられていた
というのも、星野さんは、阪神でも、選手に怒鳴りはしたものの、それ以上に、コーチである田淵さんに、
田淵、なんでこんなピッチャーが打てんのや。何を教えとるんじゃ!
と、ベンチで怒鳴ったほか、時には田淵さんのお尻を蹴り上げたそうで、
野崎氏は、
驚きました。あの田淵さんが頭を垂れ、直立不動でじっと耐えている。その姿を見て何も感じない選手はいないでしょう。コーチが怒鳴られることで、選手には逃げ道がなくなりました。自分が直接叱られるよりも効きました
と、明かしています。
「怒鳴られ役」は阿吽の呼吸でやっていた
ただ、田淵さんによると、これは、星野さんから頼まれたわけではなく、「阿吽(あうん)の呼吸」でやっていたといいます。
実は、田淵さんは、コーチ就任当初、星野さんに認められようと、いろいろなプランを提案したそうですが、星野さんは、「考えておく」と言うだけで、なかなか取り上げてくれなかったそうで、
田淵さんが、なぜかと聞くと、星野さんには、
お前、そのプランを島野ヘッドに言ったのか?
それが組織というものだ
と、叱られたそうで、
(島野育夫ヘッドコーチがNO.2で、田淵さんはNo.3)
考えてみると、田淵さんは、島野ヘッドコーチを飛び越えて、星野さんに提案していたことに(自分の立場を理解していなかったことに)気がついたのだそうです。
そこで、それ以来、田淵さんは、星野さんに直言することはやめたそうで、この「怒鳴られ役」も、星野さんと「阿吽の呼吸」でやっていたのだそうです。
「田淵幸一は阪神コーチ時代18年ぶりのリーグ優勝に貢献していた!」に続く