“打撃の神様”と称されていた川上哲治選手をして「捕手が捕れないのに打てる訳がない」と言わしめるほど、大きな落差のフォークボールを自ら編み出したという、杉下茂(すぎした しげる)さんですが、今回は、そんな「魔球」とも言われる杉下さんのフォークボールをご紹介します。

「杉下茂の落差のあるフォークボールは川上哲治も打てなかった!」からの続き

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味方の野手からクレームがありフォークボールをあまり投げられなかった

杉下さんの投げるフォークボールは、捕手の手前でバウンドするほど落差があり、”打撃の神様”と称されていた川上哲治選手でさえも打てなかったといいますが、杉下さんは試合ではあまりフォークボールを投げなかったといいます。

というのも、フォークばかり投げていると、一塁手の西沢道夫さん、三塁手の児玉利一さんら、味方の先輩野手から、

一人で野球やるな

オレらにも野球やらせろ

と、怒鳴られたそうで、

それでも無視して三者三振に取ろうものなら、ベンチで殴られんばかりに怒られたのだそうです。

本当は直球で勝負したかった

また、杉下さんは、

ワンバウンドになるような球は、どんな打者だって打てないに決まっている。打者が打てない球を投げるなんて卑怯なピッチングではないか。そんな気持ちが、心の隅っこにあった。

直球だけで打ち取れるのが投手の本懐だ

とも、語っており、

あくまで、主体は直球、要所でフォークを使うのが理想の投球スタイルだと考えていたそうです。

(ただ、直球勝負にこだわるあまり、1956年3月25日の巨人戦では、樋笠一夫選手に日本プロ野球史上初となる「代打逆転サヨナラ本塁打」を浴びるほか、広岡達朗選手にもサヨナラ本塁打を打たれています)

調子の良い時のフォークボールは揺れながら三段階で落ちていた

ちなみに、杉下さんのフォークボールは、調子の良い時は、三段に渡って揺れながら落ちたそうで、蝶のようにひらひら舞って落ち、打者の手元でさらに二段階に渡って落ちたそうですが、

(川上哲治選手は「ボールの縫い目が見えた」「捕手が取れないのに打てる訳がない」と語っています)

杉下さんは、

(球が)右へ行くのか左へ行くのか、ボールの気の向くまま。精密なコントロールなどとは無縁なものでした

と、語っており、

フォークボールを投げる時は、コントロールよりも、腕を思い切り振り、中腰になった捕手の額あたりをめがけて投げることに集中していたのだそうです。

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3種類の落差のフォークボールを駆使していた

そんな杉下さんのフォークボールは、第1関節で挟む方法と、第2関節で挟む方法と、指の根元で深く挟む方法の3種類あり、一番鋭く落ちるのは、深く挟んだ時だったそうで、浅く挟むフォークはカーブのように使い、ここぞという場面で深く挟んで落としたそうですが、

深く挟んで落とすと、ショートバウンドになったことから、捕手は体で止めなければならなかったそうで、

(杉下さんは指が長く、人差し指と中指の第二関節の間をボールが触れることなく通過したそうで、変化の激しいフォークを投げることができたのだそうです)

1952年のオールスターでは、フォークが話題になり、他球団の野手たちが面白がって、杉下さんに「オレに投げてくれ!」とせがんできたそうですが、

中日で杉下さんのフォークを受けていた野口明捕手は、血相を変えて、「やめてくれ!ケガをするから!」と、叫んだそうです。

(実際、毎日オリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)の醍醐猛夫捕手は、杉下さんのフォークボールを受け損なった際、顎を負傷したうえ、突き指もして、大きく指が曲がってしまったのだそうです)

「杉下茂がたった一度だけフォークボールを多投した試合とは?」に続く

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