3度目の阪神タイガース監督は、就任2年目の1998年、最下位に終わり、同年10月7日、球団臨時株主総会・取締役会により、三好一彦球団社長の辞任が決定した後、三好球団社長の後を追う形で退任したという、吉田義男(よしだ よしお)さんですが、実は、この任期中、現役時代を含めてプロ24年目にして、初の退場処分を受けていたといいます。
「吉田義男は3度目の阪神監督を就任2年目で辞任していた!」からの続き
球審・マイク・ディミュロは中込伸の投ゴロへのタッチを即座に判定しなかった
それは、吉田さんの3度目の阪神監督就任1年目の1997年5月17日、ヤクルト戦で、二回の阪神の攻撃中、二死一、二塁で、9番の中込伸選手がピッチャーゴロを打つと、ヤクルトのブロス投手がタッチにいくも、ディミュロ球審が即座に判定しなかったことから、空タッチだと思ったブロス投手が一塁へ送球したそうですが、
これが中込選手の背中に当たったことから、誰もがセーフだと思ったそうですが、その瞬間、ディミュロ球審がおもむろに右手を上げ、アウトのジャッジをしたのだそうです。
「Judgement slow!(判定が遅い!)」と猛抗議するも・・・
つまりは、遅まきながら、ブロス投手のタッチでアウトになったという判定のつもりだったようですが、吉田さんは脱兎のごとく一塁側ベンチを飛び出し、それならばなぜその時点で即座にアウトを宣告しなかったのかと、ディミュロ球審の前に立ちはだかり、「Judgement slow!(判定が遅い!)」と、顔を紅潮させながら猛抗議したのだそうです。
マイク・ディミュロ球審(右)に詰め寄る吉田義男監督(左)。
「暴言」を理由に退場させられていた
すると、片言の英語で抗議する吉田さんのもとへ、阪神の通訳が遅ればせながら駆けつけたそうですが、吉田さんは、「ええから」と追い返し、さらに、ディミュロ球審に詰め寄り、勢いあまって指で腹部を突っついたそうで、その瞬間、ディミュロ球審は、大声で、「Get out of here!(退場)」と宣言。
それでも、吉田さんは、
ふざけるなこの野郎!
何や!どうしてそうなるんや!
と、いつしか関西弁になり、指を差して訴え続けたそうですが、
責任審判の井野修一塁塁審が、
暴言がありましたので吉田監督を退場処分とします
と、マイクを使って観客に説明し、吉田さんは退場させられてしまったのだそうです。
試合後も退場の理由が「暴言」ということに怒りが収まらなかった
しかし、吉田さんは、この「暴言」と言われたことに、さらに怒り心頭。
試合後も、
水風呂に入って、シャワーで水を浴びて、頭を冷やしても分からん。どこが暴言や、私のブロークンな英語が暴言いうんですか?そりゃ、ちょっと腹を突っついたかもしれまへんけど・・・。退場は行き過ぎやと思います
と、怒りが収まらなかったそうです。
責任審判の井野修一塁塁審は歯切れの悪い受け答えで曖昧に濁していた
一方、ディミュロ球審は、
抗議を受け付けようとしたのに通訳を追い返し、ヨシダは意思の疎通を図ろうしなかった。自分の意見を言うだけでなく、私の判断も通訳を交えてきちんと聞いてもらいたかった。それになぜ体に触れる必要があるのか。ルールブック通り退場だ
と、(退場の是非はともかく)退場にした理由を説明しているのですが、
井野塁審はというと、(吉田さんが退場に値するほどの暴言を吐いたのか、という記者の質問に対し)
2人の間でどんな会話があったのか、分からない。(吉田さんが)一方的に抗議を続けたのが退場の理由だった。しかし、あの行為での退場はこれまで例がないので、何と言っていいか分からず、暴言という言葉に集約した
と、歯切れの悪い受け答えで、曖昧に濁しています。
ディミュロ球審は他の試合ではボール球を報復でストライク判定していた
ちなみに、ディミュロ球審は、同年6月5日の中日対横浜戦では、中日・大豊泰昭選手が打席に立った場面で、西清孝投手の投じた2球目、外角低めの際どい球をストライクと判定し、納得がいかない大豊選手に抗議されているのですが、
3球目、さらに大きく外れた明らかなボール球を、直前の大豊選手から受けた抗議に対する報復としてストライクと判定。
(当時のメジャーではよくある判定だったそうです)
そして、この判定に、大豊選手が激高し、ディミュロ球審に詰め寄ろうとすると、ディミュロ球審は直ちに大豊選手に退場を宣告。
その直後、中日の星野仙一監督およびコーチ数人がディミュロ球審を取り囲み、バックネット方向に追い詰める事態に発展しているのですが、
ディミュロ球審は、このことに対し、「自分のアンパイアとしてのキャリアの中で経験したことのない恐怖感を覚えた」と辞意を表明し、それから5日後に帰国しています。