1953年に、テスト生として大阪(阪神)タイガースに入団すると、「針の穴を通すコントロール」「投げる精密機械」と称された抜群のコントロールで、阪神、ロッテ、大洋の3球団で、通算320勝(プロ野球歴代3位)という凄まじい記録を残した、小山正明(こやま まさあき)さんですが、今回は、そんな小山さんの現役引退後をご紹介します。
「小山正明の現役時代の成績が凄い!47回連続無失点!5試合連続完封勝利!」からの続き
現役引退後は阪神・西武・ダイエーでコーチほか解説者としても活動
小山さんは、現役引退後は、
- 阪神(1974~1975年、1982~1983年、1998年一軍投手コーチ)
- 西武(1990~1991年一軍投手コーチ)
- ダイエー(1993年一軍ヘッドコーチ→1994年一軍ヘッド兼投手コーチ)
で、コーチを務めるほか、
その合間には、朝日放送テレビ・ラジオ(1976~1981年、1984~1988年)、サンテレビジョン(1989年、1992年、1995~1997年、1999~2017年)で、解説者としても活動しています。
2017年にサンテレビの解説者を勇退していた
ちなみに、小山さんは、阪神一軍投手コーチ退任後の1999年からは、ずっと、サンテレビの解説者を務め、毒舌ながら愛情のこもった語り口調でファンから親しまれていたのですが、
2017年9月8日、阪神の鳥谷敬選手がプロ通算2000本安打を達成した試合(DeNA戦)を最後にレギュラー解説者を惜しまれながら勇退しています。(2018年からはゲスト解説者として出演)
そして、2001年からは、デイリースポーツ評論家としても活動するほか、近年は、Youtubeの番組にゲスト出演し、現役時代の裏話などを語っています。
阪神に入団して3年目にゴルフを始めていた
そんな小山さんは、阪神に入団して3年目の1956年頃からゴルフを始めたそうですが、
(当時、ゴルフは、「金持ちのスポーツ」と言われるなど、贅沢な遊びだったそうで、プロ野球界でも、ある程度の実績を挙げてからでないとゴルフをしてはいけない雰囲気があったそうですが、小山さんは、タイガースの中では、御園生崇男さんに次いで2人目だったそうです)
きっかけは、ゴルフを勧めてくれた人が「ウォルター・ヘーゲン」という舶来品のクラブのフルセットをプレゼントしてくれたことだったそうで、舶来のクラブを購入することが一流の証明だった当時において、小山さんもアメリカ製のクラブを手にしたことが嬉しかったそうです。
(現在では、日本製のクラブの品質が向上し、わざわざ外国製品を買う必要はなくなったそうですが、当時は、野球用品もゴルフ用品も、日米間でかなりの品質の差があったのだそうです)
ゴルフを始めて3年でシングルになっていた
さておき、プロ野球選手だった小山さんは、シーズンオフにしかゴルフができなかったにもかかわらず、高身長でフォームが美しかったうえ、下半身を鍛えていたことから、遠心力が抜群で、飛距離が出て、メキメキと腕を上げていき、ゴルフをはじめて3年でシングルになったそうで、
腕試しに、プロ野球界のゴルフコンペに出場すると、初出場にもかかわらず、球界の猛者達を抑えて堂々の2位に輝いたのだとか。
(商品はこうもり傘1本だけだったそうです(笑))
ただ、近年は、寄る年波には勝てず、飛距離の低下に加え、体がイメージ通りに動いてくれないため、正確さも欠け、グリーンのラインを読むことも微妙に狂いが生じてきたそうで、
(スコアは、全盛時に比べて20~30打は多く叩いているとのこと)
若い頃、痛い目にあわせた人たちから、今なら勝てると、次々と誘いが来るのだそうです(笑)
「小山正明の妻との馴れ初めは?結婚後の夫婦仲は?子供は?死因は?」に続く
1953年、テスト生として阪神タイガースに入団すると、速球と優れた制球力を武器に、通算成績320勝232敗、防御率2.45、3159奪三振という素晴らしい記録を残し、”精密機械(針の穴を通すコントロール)