1956年、スカウトされて阪急ブレーブス(現・オリックスバファローズ)に入団すると、翌年の1957年から19年連続2桁勝利を挙げ、現役生活22年で、通算350勝、3388奪三振という凄まじい記録を残した、米田哲也(よねだ てつや)さん。そんな米田さんは、小学校低学年の時には、指導者に言われるがまま、往復10キロの砂浜を走り込んでいたといいます。

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年齢は?出身は?身長は?本名は?

米田さんは、1938年3月3日生まれ、
鳥取県西伯郡大篠津村(現・米子市)出身、

身長180センチ、
体重87キロ、

血液型はAB型、

学歴は、
米子市立美保中学校
⇒鳥取県立境高等学校卒業

ちなみに、「米田哲也」は本名ですが、その驚異的なスタミナから、「人間機関車」「タフマン」と呼ばれていたそうです。

愛称「ガソリンタンク」の由来はお酒をよく飲むからだった

また、米田さんは、その驚異的なスタミナから、「ガソリンタンク」とも呼ばれていたのですが、実は、米田さんによると、驚異的なスタミナがこの愛称の由来ではなく、よくお酒を飲むからだそうで、様々なインタビューで、

青田(昇)さんが付けたんですよ。『お前、よう飲むなあ』と

アオさん(青田昇氏)がつけた。よく酒を飲むからということだったが、うまく飲んだんだよ。

だけど、飲むというのもね、僕は飲む時、滅茶苦茶うまかったんですよ、人に飲ませたり、注いだりするのがね。要はガソリンスタンドで入れるのと同じで。だから、普通に周りから見たら、同じように飲んだ感覚でおるけど、オレはあんまり酔っぱらってないっていう気がありました。そしたら『お前、強い!』ということで。

別に、適度に抑えて節制してたわけやない。飲む時は飲んでましたよ。キャンプでもね。ただ、僕はどんな飲んでも、1時間前に目覚ましかけといて、朝起きたらね、すぐユニフォーム着るんです。初めの頃、みんなに言われました。『おまえ、ユニフォーム着て寝とるちゃうんかい?』って。でも、僕はどう言われようと、絶対、着た

と、明かしています。

終戦後にもかかわらず少年時代は食べるものに苦労せず育っていた

そんな米田さんは、元村会議員で、薪炭雑貨商を営むお父さんの雅明さんとお母さんの愛子さんのもと、5人兄弟の末っ子として誕生すると、実家の雑貨店は、パン、げた、釘などなんでも売っていたことから、終戦後でも食べることに苦労せずに育ったそうです。

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小学校低学年の時に往復10キロの砂浜を走り込んでいた

また、少年時代は、田んぼでキャッチボール、砂浜で野球をしていたそうですが、小学校低学年の時には、なんと、(指導者に言われるがまま)往復10キロもある弓ヶ浜の砂浜を走り込んでいたといいます。

(当時はウェイトトレーニングがなかったため、走ることしかトレーニング法はなかったそうですが、結果、強靭な下半身をつくることができたのだそうです)

そして、野球以外にも、サッカー、陸上、卓球、剣道など、様々なスポーツをしていたそうで、中学時代には、陸上の走り高跳びの選手として活躍し、170センチのハイジャンプにも挑んだことがあったのだそうです。

ちなみに、米田さんは、様々なスポーツをしていたことについて、

僕はクヨクヨしないタイプでしたからね。気分転換も早かったし、それに野球でKOされても、ほかのスポーツをやって忘れたりしましたから

と、語っています。

「米田哲也は高1にしてカーブ・シュート・スライダーを習得していた!」に続く

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