1966年1月12日、読売系のスポーツ新聞に巨人へのトレードが報じられると、実際、「10年選手ボーナス」の金額に不満を抱き、阪急には愛着があるものの、トレードを希望するなど、揺れ動いていたという、米田哲也(よねだ てつや)さんですが、最終的には、阪急・小林米三オーナーが米田さんのトレードをはっきり否定し、10年選手ボーナスについても円満に解決すると語ったことで決着します。

「米田哲也は阪急の10年選手ボーナスへの不満からトレードを希望していた!」からの続き

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阪急・岡野祐球団社長は米田哲也のトレードを再考すると答えていた

1月13日正午、東京・赤坂弁慶橋の料亭「清水」で、巨人からは正力亨オーナーと水野谷茂二総務、阪急からは岡野祐球団社長が出席し、会談が行われると、

開始から1時間40分後、岡野祐球団社長は、集まった報道陣に対し、

初の会合で回答してけりをつけるのは失礼

米田は阪急の大黒柱だから、難しい問題だ。巨人の王や長嶋を欲しいというのと同じだ。だから正力さんには〝回答を焦るのはやめましょう〟と伝えた。米田を出せるかどうかを決めるのは時間がかかるでしょう

と、曖昧な言い方をし、

一方、正力オーナーはというと、報道陣に不敵な笑みを浮かべながら、

お互いにもうしばらく考えてみようということになった。米田の見返りに誰を出すという交換要員の提示まで話は進まなかったがね

と、言ったそうです。

「米田を出すならオレも辞める」と言っていた阪急・西本幸雄監督も微妙な言い回しに変わっていた

また、これを聞いた西本幸雄監督も、当初は、「米田を出すならオレもやめる」と言っていたにもかかわらず、

球団がやるトレードについて監督が最後の断を下せるものではない。米田を絶対に出したくないというのではなく、トレードする場合、戦力が低下しては困る。

巨人には優秀な選手がたくさんいるが、今の段階では何も言えない

と、微妙な言い方に変わったそうで、

それぞれの発言が、(断固拒否ではなく)米田さん放出に向いたのだそうです。

(本来、トレード交渉は極秘で行われるのですが、この時は50人近い報道陣が料亭の周辺に集まって来ていたそうで、報道陣の大方は、巨人の米田さん獲得の申し出に対し、阪急が即答で断固拒否し、この騒動も一件落着すると考えていたそうですが、米田さんを出せるかどうか再考するという阪急の答えに騒然となったそうです)

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阪急・小林米三オーナーが米田哲也のトレードをきっぱり否定

しかし、岡野球団社長が東京から帰阪後の1月14日午後3時、小林米三オーナー(創業者・小林一三氏の三男)が、大阪・梅田の球団事務所で異例の緊急記者会見を行うと、

米田君のことがいろいろ取り沙汰され大きな問題になっているのに驚いた。巨人の正力さんからトレードを申し込まれたと聞くが、岡野君はなぜ、その場で断らなかったのか。

阪急が米田を出す意思など毛頭ないことくらい、岡野君もよく知っているはずだ

と、米田さん放出についてきっぱりと否定。

(小林オーナーの口調は優しかったそうですが、相当怒っていたそうです)

そこで、岡野球団社長は、

米田は出せないと巨人に言ったんですよ、私は・・・。すると正力さんが〝トレードは6月までできることだし、小林オーナーにも頼んでいるから、よろしく〟とおっしゃる。

即答でお断りしようと思ったが、オーナー同士どんな話が出たのか分からなかったので、いったん、帰阪して・・・ということにしたわけです

と、言うも、

小林オーナーは、

帰阪して私に相談してから、などとつまらぬことを言っているから、話がややこしくなったんだ。オーナー会議に出席したときに正力さんから〝よろしく〟と言われたけれど、まさか米田のこととは思わなかった。

米田を指定されていたら、ボクの口から即刻、断っている。こういう問題は阪急ファンに対して申し訳ない。ここで〝米田は出さない〟ということを言明します

と、断言。

また、小林オーナーは、(米田さんが不満を示していた)10年目のボーナスについても、

押し付けるのではなく、双方が妥協できる点を見いだして円満に解決したい

と、言い、

最後には、

米田は阪急を愛している。私も米田を愛している。気持ちの上でなんら支障はない

と、言い切ったそうで、

米田さんのトレード話は決着したのでした。

「米田哲也は400勝を目指して他球団移籍を申し出ていた!」に続く

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