パ・リーグ最多セーブのタイトルを獲得し、リリーフ投手としてこれからという、1977年12月、大恩人の野村克也監督が南海を解任されたことで、これに追随する形で南海を退団し、広島カーブに金銭トレードで移籍した、江夏豊(えなつ ゆたか)さんですが、なぜか、衰えていたボールの勢いが回復したといいます。

「江夏豊は南海でリリーフ転向後いきなりセーブ王を獲得していた!」からの続き

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広島移籍後は衰えていたボールの勢いが回復していた

1977年12月、金銭トレードで南海から広島へ移籍した江夏さんですが、なぜか(阪神時代の1974年頃に肘を痛めて以来)衰えていたボールの勢いが増し、生きたボールが投げられるようになったそうで、球速にすれば、140キロはいかないものの、スピンが利いているのが自分でも分かるほどだったそうです。

すると、ボールの勢いが戻ったことが自信となり、投球の幅が広がったそうで、阪神時代の最後の1~2年から南海時代は、どこか、恐恐(こわごわ)投げているところがあったのが、堂々と内角高めを突けるようになり、「自分はまだ行ける」という手応えを得たのだそうです。

(打者は力負けすることを一番嫌うため、いい打者になればなるほど、内角攻めを嫌がったそうですが、そこを攻められるようになり、江夏さんの投球内容は、ガラリと変わったのだそうです)

パラフィン治療の効果もあった?

ちなみに、江夏さんのボールの威力が回復したのには、二つの理由が考えられるそうで、

一つは、江夏さんは、かねてから、痛めていた肘の治療として、温めたパラフィン(ろうのようなもの)に肘をつけ、肘が温まったらナイロンを被せて、その上からバスタオルを巻いて保温するというパラフィン治療をしていたそうですが、ここにきてその効果が出てきたのかもしれないという話。

(パラフィン治療とは、パラフィンの伝道加熱を用いて行う温熱療法で、温めたパラフィンに患部を入れることによりパラフィン膜で皮膚を覆い、これにより蒸発できない汗が皮膚とパラフィンの間に溜まり、結果として湿熱同様の効果が得られるそうです)

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広島の古葉竹識監督は選手を大人扱いし自由にしてくれたため肩を休めることができた

もう一つは、肩を休めることが出来たのが良かったかもしれないという話で、

古葉竹識監督は、プロ野球界全体が管理野球に染まりつつあった時代にもかかわらず、

団体生活だから、遠征先などの門限は一応設けるが、おまえたちにうるさいことは言わん

いくら遊んでも、おまえたちがグラウンドで結果を出すのはわかっている。ただ若いやつは連れ回さないでくれ

と言って、選手を大人扱いし、自由にしてくれたそうで、

このような古葉監督の選手操縦方法のもと、物理的に肩を休めることができたのはもちろんのこと、気分良く投げることができたそうで、リラックスできたことで、こわばっていた神経も緩んだのかもしれないとのことでした。


燃えよ左腕 江夏豊という人生(日本経済新聞出版)

「江夏豊は広島カープでプロ13年目にして初の優勝を経験していた!」に続く


広島カープ入団会見より。江夏さん(左)と古葉竹識監督(右)

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