正捕手として緻密なリードと堅実な守備で巨人のV9に大きく貢献した、森祇晶(もり まさあき)さんですが、1974年には、長嶋茂雄さんとともに現役を引退しています。
「森祇晶は巨人V9の陰のMVPだった!」からの続き
華やかな長嶋茂雄の引退セレモニーの陰でひっそりと現役を引退していた
緻密なリードと堅実な守備で巨人のV9に大きく貢献した森さんも、巨人がV10を逃した1974年には、長嶋茂雄さん、黒江透修さんと共に現役を引退しています。
ただ、当時は捕手の地位が低かったほか、「ミスター」と呼ばれた長嶋茂雄さんと引退発表が同時だったため、森さんは、長嶋さんの陰に隠れ、長嶋さんのようなセレモニーも行われず、ひっそりとした引退となっています。
(川上哲治監督もこの年に辞任し、長嶋さんは後任監督、黒江さんはコーチ補佐に就任しているのですが、森さんは長嶋さんのコーチ構想に入っておらず、12月5日に退団しています)
現役中には24人もの新人捕手が入団していた
ちなみに、森さんの現役時代、巨人は、毎年のように、捕手を獲得しており(大橋勲選手、野口元三選手、佐々木勲選手、宮寺勝利選手、槌田誠選手、吉田孝司選手ほか)、その数、実に24人にも上っているのですが、
森さんは、当時、
なぜこれほどまでにキャッチャーを毎年毎年入れなければならないのか。そんなに俺が信用できないのか
と、巨人球団に不満を抱いていたそうです。
ただ、後になって振り返ってみると、巨人球団がそのような有望な人たちをどんどん入れてくれたことで、自分の刺激になり、毎年、安心して野球をやるのではなく、必死になって野球をやることができたのだと、思うようになったのだそうです。
(川上哲治監督は、次々と捕手を獲得した理由を、「森が故障したときのために」と言っていたそうですが、他球団の人間には「森は嫌われているのか?」と思われていたそうです)
捕逸(パスボール)は実働20年間でわずか42個という鉄壁の守備だった
そんな中、森さんは、現役引退までレギュラーの座を死守し、巨人のV9時代を支えたのですが、洞察力が鋭く、研究熱心であったことから、リードはプロ野球界で群を抜いて優れていたと言われているのですが、
(森さんは、相手チームのバッターの苦手コースや、試合ごとの相手チームのバッテリーの配球を全て暗記していたそうで、この記憶力を武器に、ボール球なども巧みに使う緻密な配球を組み立て、相手チームの打者を翻弄していたのだそうです)
森さんは、キャッチングにも優れており、捕逸(パスボール)は現役実働20年間でわずか42個(1試合換算で0.022個、1年で2個)という鉄壁の守備を誇っています。
(里崎智也選手(1試合あたり0.019個)に更新されるまでパスボール発生率は最少)
「森祇晶(森昌彦)の現役(プロ野球選手)時代の成績は?」に続く