1965年4月、「王様と私」の王様役でミュージカルデビューすると、翌年の1966年にも、ミュージカル「心を繋ぐ六ペンス」で主演するなど、立て続けにミュージカルに出演した、二代目松本白鸚(まつもと はくおう)さんは、1969年4月には、ミュージカル「ラマンチャの男」でミゲル・セルバンテス役とアロンソ・キハーナ役を演じると、同年9月には、世界各地でセルバンテスを演じた俳優を招いて共演させる企画「国際ドン・キホーテフェスティバル」にも出演します。

「松本白鸚(2代目)は若い頃公演中に足の筋を切るも舞台に立ち続けていた!」からの続き

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「ラマンチャの男」でミゲル・セルバンテスとアロンソ・キハーナの二役を演じていた

白鸚さんは、1969年4月、父・八代目松本幸四郎さんの勧めで、帝国劇場「ラ・マンチャの男」で、ミゲル・セルバンテス役と(劇中劇で自らを中世の騎士「ドン・キホーテ」と思い込む)アロンソ・キハーナ役を演じているのですが、

お父さんが文化団体の使節として、アメリカ俳優に「勧進帳(かんじんちょう)」の指導をするために渡米した際、オフ・ブロードウェイの劇場で、偶然、「ラ・マンチャの男」を見て感動し、すぐ東宝に電話をして、ぜひ、このミュージカルを息子(白鸚さん)にやらせたいと言ってくれたそうで、

やがて、東宝が権利を取得し、日本での「ラ・マンチャの男」の上演が決まると、白鸚さんが主演を務めたのだそうです。

(ヒロインのアルドンサ役は、草笛光子さん、浜木綿子さん、西尾恵美子さんのトリプルキャストだったそうです)

「ラ・マンチャの男」のあらすじ

ちなみに、「ラ・マンチャの男」は、不撓不屈(ふとうふくつ)の精神で生きるスペインの詩人で劇作家のミゲル・デ・セルバンテスの生き方を描いた作品で、

カトリック教会を冒涜(ぼうとく)したという疑いで逮捕され投獄されたセルバンテスが、盗賊や人殺しなどの囚人たちに所持品を身ぐるみはがされそうになり、自分の脚本を守るため、「ドン・キホーテ」の物語を牢獄内で演じ、囚人たちを即興劇に巻き込む形で物語が展開していくのですが、

セルバンテスと牢獄の囚人たちの「現実」、セルバンテスと囚人らが演じる劇中劇におけるキハーナの「現実」、キハーナの「妄想」としての中世の騎士・ドン・キホーテという多重構造となっているのだそうです。

「国際ドン・キホーテフェスティバル」への出演オファーを受けていた

さておき、白鸚さんが、芸術座の舞台「春の雪」(三島由紀夫作)に出演中の1969年9月18日には、産経新聞の記者から電話があり、

ブロードウェイのマーチンベック劇場で「国際ドン・キホーテフェスティバル」が開かれるが、日本はソメゴロー・イチカワ(市川染五郎=白鸚さん)の名前が出ている。出演を希望するか、という問い合わせがあったそうですが、白鸚さんは即座に「受けます」と応えたといいます。

(「国際ドン・キホーテ・フェスティバル」とは、世界各地でセルバンテスを演じた俳優を招待し、ブロードウェイで共演させるという企画)

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俳優ドン・ボムスの激励で「国際ドン・キホーテフェスティバル」の招待を受ける決心がついた

ただ、「東宝」内部では受けるべきか意見が分かれたそうで、白鸚さんの家でも家族会議が開かれたそうですが、

(英語で歌い、セリフを言うため、白鸚さんの英語力の心配と、失敗すれば東宝も恥をかくと言う理由から)

お父さんの八代目松本幸四郎さんが、以前、アメリカで「勧進帳」を教えた際、弁慶を演じた俳優のドン・ボムスさんが日本に来ていたことから、相談してみると、ボムスさんは「素晴らしいチャンスだ。英語のセリフは引き受けるから、ぜひやりなさい」と激励してくれたそうで、白鸚さんは、このボムスさんの言葉で招待に応じる決心がついたのだそうです。

「松本白鸚(2代目)は若い頃ブロードウェイで日本人初の主演を務めていた!」に続く

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