中学高校共に、飛び抜けた打撃で、いきなり、1年生にして4番を打っていたという、落合博満(おちあい ひろみつ)さんですが、高校では、先輩や同級生に何かと目の敵(かたき)にされ、難癖をつけられては殴られていたそうで、入部3ヶ月で練習に行かなくなったといいます。ただ、大会1週間前になると、呼び戻されたそうで、大会が終われば退部し、また、大会1週間前になると、呼び戻されを繰り返していたといいます。
「落合博満は中学高校共に1年生にして4番を打っていた!」からの続き
高校時代は3年生や同級生に殴られ、入部3ヶ月で練習に行かなくなっていた
落合さんは、もともと、練習が嫌いだったことや、入学して即レギュラーに抜擢されたことから、3年生の先輩や同級生に何かと目の敵(かたき)にされ、難癖(なんくせ)をつけられては殴られていたそうで、
そのうち、練習に出るのが嫌になり、登校すれば練習に出なければならなかったことから、次第に高校へ行くこと自体サボるようになったそうです。
高校野球部の縦社会に馴染めなかった
ちなみに、落合さんは、
(秋田県立秋田工業高等学校は練習が楽だと思って進学したが)でも、とんでもなかった。上級生が『おれは1年先輩なんだから、言うことを聞かないといけない』と下級生にものを教える。
それになじめなかったね。村で育ったので、横のつながりというか、みんな仲間意識があるでしょ。それが秋田市に出て、こんな違いがあるんだって初めてわかった
と、語っているのですが、
落合さんの高校時代の後輩は、
練習はサボってばかり。たまに来ると思えば、他の部員はすでにグラウンドに集合しているのに、部室でひとり雑誌を見ているんです。覗(のぞ)いてみると、大リーガーのバッティング写真なんですね。
「スゴイぞ、お前も見ろ」と言われても、ハテ? しばらくして突然部室を出て行くと、フリーバッティングを始めるんです。イメージトレーニングだったんですね。今にして思うと、あの頃から世界が違ってたんだな、と感じます(週刊宝石92年5月7・14日号)
と、語っています。
大会の1週間前には野球部の先輩に呼び戻され4番で大会に出場していた
それでも、落合さんは、チーム一番の実力選手だったため、試合の1週間前になると、野球部の先輩に、「出席日数が足りないから出てこいよ」と呼び戻されたそうで、
仕方なく学校に行くと、放課後、先輩が教室の前で待っており、「行くぞ」と言われて、野球部に復帰させられたそうで、大会では4番で出場すると、ホームランを量産したそうですが、大会が終わると、また学校には行かなくなったのだそうです。
(7回入部して8回退部と、入退部を繰り返したそうですが、一度も退部届は書いておらず、常に休部扱いだったそうです)
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