1996年オフ、巨人を退団し、日本ハムに移籍した、落合博満(おちあい ひろみつ)さんは、移籍1年目の1997年は、自身過去最低の成績で終わるのですが、113試合に出場し、史上最年長の44歳シーズンでの規定打席到達、史上2人目の1500四死球、大杉勝男選手に次ぐプロ野球史上2人目のセ・パ両リーグ1000本安打を達成しています。
「落合博満が日本ハムとヤクルトに提示した交渉の条件とは?」からの続き
日本ハム移籍1年目の春季キャンプでは充実感を語っていた
1996年オフ、日本ハムに移籍した落合さんは、1997年2月の春季キャンプでは、取材陣から巨人と日本ハムの違いについて問われ、
前のチームのことはもう知らないよ、忘れた(笑)
と、記者をあしらうも、
若い選手が多くて発展途上のチームだね。やればやるほど野球を覚えていくという、ね。だから、一緒に野球をやっていて面白いよ
とも、語っており、
新天地でのプレーに充実感を覚えていたようです。
日本ハム移籍1年目は出だし好調も6月中旬から打率が下降
そんな落合さんは、日本ハム移籍1年目の1997年シーズンは、4番ファーストで起用されると、4月16日の西武戦では4打数4安打と健在ぶりをアピールするなど、5月17日時点で打率3割3分9厘と活躍していたのですが、
その後は、途中交代の多い起用法に戸惑うほか、6月中旬頃より年齢的な衰えと疲労が重なり、調子が上がらず、打率が下降してしまいます。
日本ハム移籍1年目1997年は打率2割6分2厘、3本塁打、43打点という期待外れの成績に終わっていた
さらに、8月22日のオリックス21回戦では、1回の裏、大島公一選手の打球を捕った際、左第四指末関節骨を脱臼してしまい、二軍落ちはしなかったものの、この試合以降の先発出場は8試合だけで、
最終的には、打率2割6分2厘、3本塁打、43打点という期待外れの成績に終わってしまったのでした。
(終盤には16年ぶりの6番に降格しています)
プロ野球史上2人目のセ・パ両リーグ1000本安打を達成
こうして、日本ハム移籍1年目の1997年は、自身過去最低の成績に終わった落合さんですが、113試合に出場し、史上最年長の44歳シーズンでの規定打席到達、史上2人目の1500四死球、大杉勝男選手に次ぐプロ野球史上2人目のセ・パ両リーグ1000安打も達成しています。
1000本安打を達成し、花束を掲げてファンに応える落合さん。
オールスターゲームで始球式をした広末涼子を知らなかった
ちなみに、落合さんは、球宴(オールスター)も一塁手部門のファン投票で選出され、全パの仰木彬監督から1番打者で起用されているのですが、
始球式が、当時17歳でトップアイドルだった広末涼子さんだったことから、若い選手から羨ましがられたそうです。
(ただ、当の落合さんは、広末さんのことを知らなかったそうで、全セ最年長の広島・大野豊選手をつかまえ、「おまえ、ヒロスエリョウコって知ってるか?」と尋ね、中年サラリーマンのように笑い合ったそうです)
「落合博満は日本ハム2年目も開幕は4番を勝ち取っていた!」に続く