日本ハム移籍1年目の1997年は、自身過去最低の成績に終わるも、プロ野球史上2人目のセ・パ両リーグ1000本安打、史上最年長の44歳シーズンでの規定打席到達、史上2人目の1500四死球など、様々な記録を残した、落合博満(おちあい ひろみつ)さんは、日本ハム移籍2年目の1998年は、24歳の西浦克拓選手との4番争いで開幕4番を勝ち取るのですが・・・右手親指の付け根部分を痛めたことが原因で、打率が下降して6番に降格させられると、その後、守備でもファウルフライの目測を誤って受け損ねてしまい、後半戦は代打での起用が多くなり、ついには引退報道が流れます。

「落合博満はセ・パ両リーグ1000本安打(プロ野球史上2人目)を達成していた!」からの続き

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日本ハム移籍2年目もキャンプから若手ホープ西浦克拓との争いの末に4番を勝ち取っていたが・・・

落合さんの日本ハム移籍2年目の1998年は、キャンプから若手のホープとして期待されていた24歳の西浦克拓選手との4番争いとなると、オープン戦では、最後6試合で15打数7安打した落合さんが開幕4番を勝ち取り、4月4日の開幕・西武戦では、4番ファーストで先発出場し、西武のエース西口文也投手から4打数3安打を記録したのですが・・・

(落合さんは、前年(1997年)に脱臼した指を守るため、これまでは素手で握っていたバットを、左手のみバッティンググローブ着用に変えたり、デーゲームの多いパ・リーグに対応するためにサングラスを着用していたそうです)

日本ハム移籍2年目の後半戦は代打起用が増え、日刊スポーツに「引退」を報じられる

そんな落合さんは、開幕してしばらくは打率3割をキープしていたのですが、右手親指の付け根部分を痛めてしまい、4月25日の西武戦で打率が3割を切ると、以降、6番に降格させられます。

(代わりに西浦選手が4番となっています)

さらに、5月19日の西武戦では、テリー・ブロス投手の速球を東京ドームの右中間スタンドへ叩き込む活躍を見せるも、一塁守備時にファウルフライの目測を誤って受け損ねてしまうと、その後、出場機会は減少して、後半戦は代打起用が増え、球宴(オールスター)後の7月下旬には、日刊スポーツに「落合FA、獲得名乗りなければ引退」と報じられたのでした。

(チーム(日本ハム)は「ビッグバン打線」が爆発して開幕から勝ち続け、首位を走っていました)

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日本ハム移籍2年目の最終戦では上田利治監督に指名打者での先発出場を打診されるも固辞していた

そして、シーズン最終戦の10月7日のロッテ戦(千葉マリンスタジアム、ダブルヘッダー2試合目)では、上田利治監督から指名打者での先発出場を打診されたそうですが、落合さんはこれを固辞したそうで、

チームが1対4とリードされた5回表一死の場面で代打で打席に立つと、全盛期同様に素手でバットを握り、「神主打法」と呼ばれた独特の構えで打席に立つも、黒木知宏投手が投げた3球目141キロの直球に一塁ゴロで倒れたのでした。

(落合さんは、試合が終わった後、「お疲れさん」と言っていつもと同じようにロッカールームを後にすると、球場出口で出待ちしていたファンがいる柵前まで歩み、ファンの人達と握手をして回ったのだそうです)

「落合博満の引退理由は打撃ではなく守備だった!」に続く

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