2013年、現役引退から実に25年ぶりにゼネラルマネージャー付育成&打撃コーディネーター(DC)として、阪神タイガースに復帰すると、2015年には、金本知憲監督の強い希望により、二軍監督に就任した、掛布雅之(かけふ まさゆき)さんですが、2017年には、金本監督と指導方法を巡る対立から、二軍監督を退任しています。
「掛布雅之は打撃コーディネーターとして阪神に25年ぶりに復帰していた!」からの続き
二軍監督退任は金本知憲監督との指導方法を巡る対立が原因
2013年には、非常勤のゼネラルマネージャー付育成&打撃コーディネーター(DC)ながら、25年ぶりに阪神タイガースに復帰すると、2015年には、金本知憲新監督の強い意向により、阪神タイガースの二軍監督に就任した掛布さんですが、
2017年9月10日には、2017年10月31日の契約期間満了を機に二軍監督としての契約を更新しないことが発表されています。
(掛布さんに通告されたのはそのわずか2日前の9月8日だったそうで、これには、掛布さん本人も驚いたといいます)
というのも、掛布さんと金本監督の間には指導方法を巡る対立があったそうで、自身の野球理論を無理に押し付けることなく、徹底して選手と話し合うなど、選手の自主性を重んじ、選手の良いところを見つけてそこを伸ばす指導方法の掛布さんに対し、現役時代、広島で猛練習で鳴らした金本監督は、「練習でできなかったら、(プロを)去るのは常」という持論を持ち、若手を徹底的に鍛える練習方法を求めていたというのです。
(金本監督は、掛布さんをコーチに招聘した当初は、「同じ打撃理論を持ち共感できる」と語っていたのですが、育成方針やウエートトレーニングに対する認識の違いが徐々に露呈していったそうで、2016年の秋には、二軍キャンプで練習方法を変えて欲しいと、金本監督から直接ではなく、二軍コーチを経由して掛布さんに伝えられていたといいます)
二軍監督としての成績はいまいちだった
また、二軍監督は戦績よりも育成手腕という側面もあるとはいえ、掛布さんが二軍監督として指揮を執った阪神の二軍は、2016年はウエスタンリーグ3位(57勝54敗7分・勝率.514)、2017年はウエスタンリーグ最下位(52勝60敗10分・勝率.464)という成績で、
一軍が翌2018年に優勝するためには、藤浪晋太郎投手、髙山俊選手、原口文仁選手、北條史也選手らをもう一度鍛え上げる必要があった中、阪神球団は、掛布さんの契約終了のタイミングで、チーム方針の転換や二軍体制の見直しを決めたといいます。
甲子園でのウエスタン・リーグ(二軍)最終戦は平日のデーゲームにかわらずにファンが殺到していた
そんな掛布さんは、2017年9月28日、ウエスタン・リーグ(二軍)でのシーズン最終戦となる広島戦で二軍監督として最後の采配を振るっているのですが、このシーズン限りで退任が決まっていたことから、(阪神球団のはからいで)予定されていた鳴尾浜球場から、急遽、甲子園での開催となると、
二軍戦の平日のデーゲームにもかかわらず、甲子園球場には、7131名ものファンが駆けつけ、バックネット裏と一塁側内野席を埋め尽くし、独特の熱気に包まれたといいます。
ウエスタン・リーグで優勝できなかったことから胴上げを固辞していた
そして、試合は、藤浪晋太郎投手が5回1失点の好投をし、広島のエラーも絡んで16対4と大差で阪神が勝利と、阪神ファンにとって嬉しい展開となり、
(試合中には、選手交代を告げるため、掛布さんがベンチから出てくると、スタンドからはどの現役選手よりも大きな拍手と歓声が起きたそうです)
掛布さんが試合後のインタビューに答えた後には、ナインが胴上げしようとしたそうですが・・・
掛布さんは、監督在任中にチームをウエスタン・リーグ優勝へ導けなかったことを理由に、
胴上げとは勝者(優勝チームの監督)や現役を退く選手がされるものであって、自分はその身ではない
と、胴上げを固辞しています。
試合後のインタビューでは「ちょっと優しい監督だった」と核心にも触れていた
ちなみに、掛布さんは、試合後のインタビューで、
非常に充実した(コーディネーター時代も含む)4年間だったと思います。二軍ながら、ほぼ連日、席が埋まるぐらいファンの方が訪れて素晴らしい舞台を作ってくれました。ファンの目の力という部分が選手を育ててくれたと思っています
選手たちは確実に力を付けてきてくれてると思いますし、そういう意味では非常に濃い2年間だったと思います
と、しながらも、
あまり上から選手を見ていてはいけない、選手と同じ目線でいないといけない、と思っていたので、ちょっと優しい監督だったかもしれません
と、二軍監督退任劇の原因となった核心にも触れています。
「掛布雅之が阪神の監督になれないのは飲酒運転が原因?」に続く