現役時代には「4代目ミスタータイガース」と称されほどの素晴らしい成績を残し、現役引退後も、ファンの間で幾度も監督待望論が持ち上がるほどの根強い人気を誇ってきた、掛布雅之(かけふ まさゆき)さんですが、掛布さんが阪神の一軍監督になれないのは、異なる三つの理由があるといいます。今回は、そのうちの一つ(金銭問題)をご紹介します。
「掛布雅之が阪神の監督になれないのは飲酒運転が原因?」からの続き
経営していた店舗の不振により多額の負債を抱え、自宅が差し押さえられていた
掛布さんは、1985年、「掛布企画」を設立すると、お好み焼き店やスポーツ用品店など、サイドビジネスを手広く展開し、設立当時はバブル景気も重なり、経営は順調だったそうですが、
2008年11月には、経営していた店舗の不振により多額の負債を抱え、本社兼自宅(大阪府・東豊中)の不動産が差し押さえられていたことが、2009年、週刊誌により報じられています。
阪神の監督になれないのは金銭問題が原因?
さらに、掛布さんは、
- 2009年9月には、コンサルタント会社から、借金を肩代わりさせられたと訴えられ、全面敗訴していた
- 本社兼自宅は複数の競売申し立てを受け、2010年3月31日、大阪地裁が大阪府豊中市にある自宅の競売開始を決定し、2011年6月、強制競売に付されていた
- 2011年7月27日には、(掛布さんが実質的オーナーを務める)「掛布企画」が2度目の不渡りを出し、銀行取引停止処分(事実上の倒産)となったことが明らかとなっていた(負債総額は4億円に上るとも)
と、言われており、
一軍の監督としては、イメージが良くないのかもしれません。
サイドビジネスを始めたきっかけは突然倒産した「美津和タイガー」のスタッフを支えるためだった
ちなみに、産経新聞の記者・田所龍一氏によると、掛布さんがサイドビジネスを始めたのは、1985年5月、掛布さんが長年アドバイザー契約を結んでいたスポーツメーカーの「美津和タイガー」が突然倒産したことがきっかけだったそうで、
掛布さんは、自分を支えてくれたスタッフが路頭に迷わないようにと、
こんなときだから今度はボクが支える番です。次の就職先が決まるまで、ボクが皆さんのお給料を支払いますよ
と、申し出て、
大阪府豊中市の自宅近くにスポーツカジュアル用品店「スポーツハウス・フィールド31」を開店させ、スタッフを雇い入れたのだそうです。
「美津和タイガー」スタッフ全員の再就職先が決まった時点でスポーツカジュアル用品店は閉店していた
さらに、掛布さんは、自身の年俸だけではスタッフとして雇用した元社員の給料のすべてを賄うことができなかったことから、知人に頼み、少しでも補えるようにと、自宅近くの「豊中ロマンチック街道」に、広島風のお好み焼き店「ホットコーナー」をオープンさせたそうで、
その後、掛布さんの支援により、スタッフたちの再就職先も次々と決まり、全員の身の振り方が決まった後、掛布さんは、「スポーツハウス・フィールド31」を閉店したのだそうです。
料理店を次々オープンしたのは金儲けのためではなく、おいしい料理を提供し、みんなに喜んでもらうためだった
また、産経新聞の記者・田所龍一氏によると、掛布さんは、そのほかにも、フランス料理店や串カツ店などをオープンさせたそうですが、決してお金儲けのためではなく(実際、掛布さんは、株も不動産もギャンブルも興味がなかったそうです)、お父さんとお兄さんが料理人で、自らも料理が好きなため、おいしい料理を提供し、みんなに喜んでほしいとの思いからお店を次々と出していたといいます。
しかし、信じていた人に裏切られるなどして借金が積み重なったそうで、これらのことが、週刊誌などで、「実業家・掛布の失敗」としておもしろおかしく取り上げられ、掛布さんの間違ったイメージが広がっていったのだとしています。
「掛布雅之が阪神の監督になれないのは一匹狼(派閥を作らない)だったから?」に続く