1988年秋に、広島球団から監督就任要請を受け、広島カープの監督に就任した、山本浩二(やまもと こうじ)さんは、監督就任1年目の1989年は、開幕戦こそ阪神に敗れたものの、4月を15勝3敗と開幕ダッシュに成功し、最終的には73勝51敗6分けで貯金22を残すのですが、この年の巨人は強過ぎ、巨人に9ゲーム差をつけられて2位に終わってしまいます。

広島カープ監督就任会見時の山本浩二

「山本浩二は兼任監督の就任要請を受けるも断っていた!」からの続き

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山本浩二は監督就任1年目の秋季キャンプでは選手たちに猛練習させていた

山本さんは、1988年、監督就任直後、宮崎・日南で行った秋季キャンプでは、早出は9時、全体練習は10時から5時、6時までと、時間も量も前年の2倍にしたそうで、達川光男選手が「胃から汗がでる」と漏らすほどの猛練習を課したそうですが、

翌1989年の春季キャンプでは、練習を秋の3分の2ほどにすると、皆が「楽だ」と言ったそうで、実は、秋よりは少なくても、前年(1987年)の春よりははるかに多い練習だったそうで、それを皆が楽だと感じていることに、しめたと思い、秋季キャンプの成果を感じたそうです。

山本浩二は監督就任1年目の開幕戦(阪神戦)で継投に失敗し痛恨の逆転負けを喫していた

こうして、それなりの手応えを感じて迎えた、1989年4月8日の開幕戦(阪神戦)ですが…

山本さん率いる広島カープは、7回まで4対0とリードしていたのですが、8回、これまで好投を続けてきた北別府学投手が4連打を浴びて2点を返され、なおも無死一二塁(4対2)。

ここで、山本さんは、先発4番手の右腕・長冨浩志投手をマウンドに送るのですが、長冨投手が投じた2球目を、阪神のセシル・フィルダー選手に痛恨の逆転3ランホームランされ、そのまま4対5で敗れてしまったのでした。

(山本さんはその夜は一睡もできなかったそうです)

山本浩二の監督就任1年目の1989年は開幕ダッシュに成功するも2位に終わっていた

それでも、山本さん率いる広島カープは、4月9日の開幕2戦目からは5連勝すると、4月16日には1敗するも、4月17日からは今度は10連勝と、4月は15勝3敗と開幕ダッシュに成功します。

しかし、徐々に巨人に追い上げられると、5月下旬にはついに首位を陥落し、6月初旬には同率首位に追いつくものの、その後は、大きく差を広げられ、最終的には、巨人に9ゲーム差をつけられ、2位に終わってしまったのでした。

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山本浩二の監督就任1年目の1989年は好成績も巨人が強過ぎた

とはいえ、この年、山本さん率いる広島カープは、投手陣は、先発に、北別府学投手、大野豊投手、川口和久投手、長冨浩志投手、白武佳久投手、中継ぎに、紀藤真琴投手、川端順投手、清川栄治投手、守護神に、津田恒実投手が控えるなど、盤石で、

(川口投手が最多奪三振、津田投手が最優秀救援に輝きます)

73勝51敗6分けと、貯金22を残しており、決して悪い成績ではありませんでした。

ただ、優勝した巨人が、84勝44敗2分けで貯金40と、あまりに強すぎました。

(強いて言うなら、広島は打順を固定できず、ウェイド・ロードン選手とロッド・アレン選手の2人の新外国人選手の活躍のほか、正田耕三選手が盗塁王に輝くも、打線の威力が足りませんでした)

「山本浩二の監督初優勝は就任3年目(1991年)!7.5ゲーム差を逆転していた!」に続く

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