1967年、14歳の時、「忍者ハットリくん+忍者怪獣ジッポウ」でテレビドラマデビューして以来、50年以上も女優として活動し続けている、松坂慶子(まつざか けいこ)さん。今回は、そんな松坂さんのルーツとなる両親についてご紹介します。
年齢は?出身は?身長は?
松坂さんは、1952年7月20日生まれ、
東京都大田区のご出身、
身長162センチ、
血液型はA型、
学歴は、
渋谷区鳩森小学校
⇒中野区立向台小学校(転校)
⇒中野区立第三中学校
⇒日本大学第二高校卒業
趣味は、フラダンスだそうです。
本名の由来は?
「松坂慶子」は本名なのですが(結婚後は高内慶子(たかうち けいこ))、お父さんが朝鮮半島の慶尚道(キョンサンどう)出身なことから、故郷を忘れないために「慶」の文字を取り、「慶子」と名付けられたのではないかと言われています。
父親は韓国人
松坂さんのお父さんは、韓英明さんといい、朝鮮半島の慶尚道(キョンサンどう)・大邱(テグ)で誕生するのですが、1938年、15歳の夏、職を求めて、小舟で日本に渡航すると、朝鮮人であることを伏せ、日本名「岡本茂」を名乗り、職を転々としたそうです。
そんなある日のこと、「炭鉱員募集 8時間労働・日給4円」という長崎の高島炭鉱の作業員募集の張り紙を見て応募し、高島へ渡ると、20人ほどの日本人飯場(はんぱ)に入ったそうです。
(英明さん以外にも慶尚南北道の人々は働く場を求めて次々と来日したそうです)
※飯場とは作業員用の宿泊施設のことをいうそうです。
父親は監獄のような現場で強制労働させられていた
その後、英明さんは、藁敷(わらし)きの土間や坑道で石炭を積む仕事をさせられたそうですが、8時間労働、日給4円のはずが、親方からは、「10銭」「20銭」などと書いた紙キレをもらっただけで、お金らしいお金はもらえなかったそうです。
また、そこは、ケガをしても、治りきらないうちに仕事をさせられるほか、逆らえば殴られ、逃亡して発見されればリンチされるという、まるで監獄のような現場で、拷問による悲鳴やうめき声が日常的に聞こえてきたのだそうです。
英明さんは、「だまされた」と思ったそうですが、朝鮮人だということがバレ、酷い仕打ちをされるかもしれない、という恐怖から、とにかく、黙々と真面目に働いたそうで、そんな働きぶりが認められ、英明さんは、島では自由に行動することが許されたのだそうです。
父親は玄界灘を泳いで脱出していた
そんなある日のこと、英明さんは、散歩中、偶然、海岸に打ち上げられている丸太を発見し、無我夢中でその丸太めがけて走り出すと、
ほかにも、その丸太めがけて走っている男が二人いたそうで、英明さんら三人は丸太につかまって海(玄界灘)を泳いで逃亡したそうですが、泳ぐことを休めば、すぐに海へと沈んでしまうため、とにかく必死で泳いだそうで、
4.5キロほど泳いだところで、ようやく、丸太とともに対岸の岩場(野母半島)へと打ち上げられたのだそうです。
(高島炭鉱は「鬼ヶ島」と呼ばれるほど恐ろしい所で、脱出することは不可能だったといわれており、英明さん達が脱出に成功できたのは奇跡的だったそうです)
父親は若い芸者さんに助けられていた
すると、そこは、長崎の香焼町(こうやぎちょう)という町だったそうで、英明さんら三人が長崎市内を目指して歩いて行くと、その途中で、「東京音頭」が聞こえてくる一軒の料亭が見えたそうです。
(パンツ一枚という姿だったため、昼間は野小屋に隠れ、夜に歩いたそうです)
そこで、英明さんが、「余り物でもいいから何か食べさせてほしい」と思いながら、台所に向かって、恐る恐る戸を開けると、そこにいた若い芸者さんと目が合ったそうですが、その若い芸者さんは、三人の姿を見てすべてを察したかのように、何も言わずにおにぎりを作ってくれたそうで、
英明さんは、そのおにぎりを頬張りながら涙が口の中に流れ込んだのだそうです。
ちなみに、この時、英明さんはまだ、17歳だったそうで、後に、
あのときの感謝の気持ちは一生忘れない
と、語っています。