まだ若く貧乏絵描きだったお父さんとお母さんのもと、東京・両国に2人姉妹の長女として誕生すると、高校3年生の時には、築地でお芝居を観ることが好きだったお母さんに、新劇の女優になることを勧められ、「文学座」に入座したという、丹阿弥谷津子(たんあみ やつこ)さんですが、ひょんなことから、同年、いきなり、初舞台を踏んだそうです。

「丹阿弥谷津子の父は日本画家の丹阿彌岩吉!」からの続き

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「富島松五郎伝」の端役で初舞台を踏む

高校3年生の時、お父さんの知り合いだった久保田万太郎さんの紹介で「文学座」に研究生として入座した丹阿弥さんは、ある日、学校が終わった後、(「文学座事務所」と稽古場に借りていた)神田錦町河岸の錦橋閣まで、丸山定夫さん客演の舞台「富島松五郎伝」の稽古を見学しに行ったそうですが、

その際、演出家の里見淳さんに、お祭りの太鼓の場面で人が少ないからと、

おい、この子達は使えないのかい!

と、突如、丹阿弥さんが(合わせてもいない)カツラを被らされ、浴衣を着せられて、祭の見物人役として舞台へ出されたそうで、これが初舞台となったそうです(笑)

(ヤクザがワーッとケンカに来て、女の子たちがキャーッと言って散り散りばらばらになるというシーンだったそうです)

「富島松五郎伝」での丸山定夫の演技に心を打たれる

ちなみに、丹阿弥さんは、その時のことを、

森雅之さんが、やくざと杉村(春子)さんの夫の軍人さん役と二役演っていらした。やくざを演るのがとっても楽しそうでしたよ、森雅之さん。

初めて出た舞台で丸山(定夫)さんのお芝居を見たものですから、自分が出てない幕は花道とか舞台の袖からそーっと見ていたんです。

やっぱり最後の幕での、奥様とも別れてなんともいえない顔してじーっとお座りになっている丸山さんのお姿が今でも胸に浮かぶくらい心を打たれました。

と、語っています。

(この舞台「富島松五郎伝」は、丸山さんが「文学座」で客演して大ヒットしたそうで、翌年の1943年には、阪東妻三郎さん主演で、「無法松の一生」として映画化されています)

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新劇合同公演「桜の園」のヒロイン・アーニャ役で一躍脚光を浴びる

その後、丹阿弥さんは、1945年12月、新劇合同公演「桜の園」のヒロイン・アーニャ役で本格的な舞台デビューを果たし、一躍、脚光を浴びているのですが、

実は、丹阿弥さんは、戦中戦後の5年間、家族で信州の松尾村(現・飯田市松尾)に疎開していたそうで、「文学座」の宮口精二さんらとは手紙でやりとりしていたものの、「文学座」がどうなっていたのかは、あまり知らなかったそうで、

(「文学座」のメンバーも石川県の小松に劇団疎開していたそうです)

そんな疎開生活の中、隣村に疎開していた「文学座」の創立メンバーだった岸田國士さんを訪ねて行った際、

ほーっ、貴方は文学座の研究生なのか

と、嬉しそうにしてくれ、このことがきっかけとなり、岸田さんと交流が始まったそうで、

時々、岸田さんの家へ訪ねて行っては、書棚から本を借りてお芝居の勉強をしていたのだそうです。

「丹阿弥谷津子が若い頃は「桜の園」のヒロインに抜擢されていた!」に続く

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