1942年、「富島松五郎伝」で初舞台を踏むと、終戦後の1945年12月には、新劇合同公演チェーホフの「桜の園」のヒロイン・アーニャ役に抜擢された、丹阿弥谷津子(たんあみ やつこ)さんですが、アーニャ役抜擢は、疎開先の信州で、伝えられたといいます。

「丹阿弥谷津子は高校生で初舞台「富島松五郎伝」に出演していた!」からの続き

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「桜の薗」でヒロインのアーニャ役に抜擢されて疎開先の信州から東京に戻る

1945年8月15日、ようやく戦争が終わるも、皆がこぞって東京に帰る中、丹阿弥さん一家は、家が燃えてなくなっていたことから、東京へ帰ることができず、そのまま飯田に留まっていたそうですが、

丹阿弥さんは、かねてから、家を訪ねては本を借りるなど交流していたという、隣村に疎開していた「文学座」の創立メンバーだった岸田國士さんから、

合同公演「桜の薗」でアーニャという娘役が貴方についたから帰っておいで

と、言われ、東京に帰ることになったそうで、

お父さんの友人の家や伯父さんの家に泊めてもらいながら、(手持ちのお米が少なく)スカスカのお弁当箱を持って稽古に通ったのだそうです。

「桜の薗」の相手役・千田是也は目を見て芝居ができなかった

ちなみに、1945年12月、ついに、有楽座で合同公演チェーホフの「桜の薗」が上演されると、(戦争でお芝居ができなかったため)その時のみんなの喜びようと言ったら、言葉にできないほどだったそうですが、

丹阿弥さんの相手(恋人)役の千田是也さんからは、

僕はね、相手の目が見られないからゴメンね

と、言われたそうで、

実際、千田さんは、「アーニャ!」と言いながら、丹阿弥さんの顔を見ず、上の方を向いていたそうです(笑)

(千田さんは、「俳優座」の設立者でリーダー的存在)

ただ、丹阿弥さんと同じ「文学座」で、中心的存在だった杉村春子さんからは、

文学座は皆、使用人の役なんだからね、(ヒロインの)あんたはしっかりしてもらわなくちゃ困る

と、言われ、怖かったそうです(笑)

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「にごりえ」では主演、「東京のえくぼ」ではヒロイン

さておき、丹阿弥さんは、その後も、舞台「シラノ・ド・ベルジュラック」でロクサーヌ役、「マリウス」でファニー役など、清楚な美貌と確かな演技力で、「文学座」の看板女優として活躍を続けると、

1950年には、「アルプス物語 野性」で映画デビューも果たし、

以降、

1952年「恋の応援団長」
     「東京のえくぼ※ヒロイン役
     「生きる」
     「山びこ学校」
1953年「妻」
     にごりえ※主演


「東京のえくぼ」より。丹阿弥さんと上原謙さん。

テレビドラマでは、

1958年「私の秘密」
     「五重塔」
1959年「或る町の出来事」
1961年「虞美人草」
     「破戒」
     「松本清張シリーズ・黒い断層」第32-34回「危険な斜面」
     「鹿鳴館」

など、映像の世界にも進出して立て続けに出演したのでした。

「丹阿弥谷津子が若い頃は三島由紀夫らと共に「文学座」を脱退していた!」に続く

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