「文学座」ではヒロイン女優として活躍しつつ、「東京のえくぼ」ではヒロイン、「にごりえ」では主演を務めるなど、映像作品にも進出するなど、順調に女優としてのキャリアを積んでいた、丹阿弥谷津子(たんあみ やつこ)さんですが、そんな中、1963年、ある事件が起こり、「文学座」を脱退します。

「丹阿弥谷津子が若い頃は「桜の園」のヒロインに抜擢されていた!」からの続き

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芥川比呂志らが杉村春子に反発し「文学座」を脱退して「劇団雲」を設立

実は、1963年1月14日、「文学座」の中心的存在だった杉村春子さんの体制に反発した座員の芥川比呂志さんが、岸田今日子さん、小池朝雄さん、神山繁さん、加藤治子さん、仲谷昇さん、三谷昇さん、山崎努さん、名古屋章さん、橋爪功さんら、有望な中堅・若手俳優29名を引き連れて脱退しているのですが、

芥川さんらは、その後、福田恆存さんと組んで、財団法人「現代演劇協会」の附属劇団「劇団雲」を設立しており、「文学座」にとって大きな痛手となっていました。

三島由紀夫が「文学座」の立て直しを図るも・・・

それでも、「文学座」に残った座員の三島由紀夫さんが、その後、「文学座」の立て直しを試みようと、同年1月16日、「文学座」の結束を固め再出発したい旨の声明を発表すると、

2月11日には、「文学座」再建のためのプランとして、「現代劇の確立」「西洋演劇の源流を探る」「日本の古典を探る」という3つの課題を掲げ、

この課題に基づいた潤色作品として、ヴィクトリアン・サルドゥ原作の戯曲「トスカ」を書き上げ、杉村春子さん主演で上演します。

(「潤色作品」とは、もともとある作品に手を加え、新しい作品として発表された作品)

杉村春子らが戯曲「喜びの琴」の上演を拒否

そして、三島由紀夫さんは、同年11月には、翌年の正月用の公演のための戯曲「喜びの琴」を提供するのですが・・・

この「喜びの琴」「文学座」による公演が予定されていたにもかかわらず、「文学座」の座長・杉村春子さんらが、いくつかのシーンを問題視し、上演を拒否したそうで、

同月21日、「文学座」の理事・戌井市郎さんらが三島さんの自宅を訪れ、「喜びの琴」の上演が保留になったことを三島さんに伝えると、

三島さんは、保留ではなく、むしろ、上演中止を望み、戌井さんもこれを承諾。公演は中止となってしまったのでした。

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「喜びの琴事件」で三島由紀夫らに続き「文学座」を脱退

その後、同月25日、三島さんは、戌井さんに「文学座」脱退を申し入れると、同月27日には、朝日新聞紙上に、「文学座の諸君への『公開状』――『喜びの琴』の上演拒否について」を発表。

三島さんは、ここで、上演中止に至る経緯と顛末を説明すると同時に、上演を拒否した「文学座」の俳優たちを痛烈に批判しているのですが、

その翌日の11月28日には、三島さんに同調した矢代静一さんと松浦竹夫さんが「文学座」を脱退。

翌12月には、丹阿弥さんも、矢代静一さん、松浦竹夫さん、青野平義さん、奥野匡さん、荻昱子さん、寺崎嘉浩さん、中村伸郎さん、仁木佑子さん、北見治一さん、真咲美岐さん、賀原夏子さん、宮内順子さん、南美江さん、村松英子さん、水田晴康さんらとともに「文学座」を脱退したのでした。

「丹阿弥谷津子が「文学座」脱退の起因となった「喜びの琴事件」とは?」に続く

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