高校3年生の時、「文学座」に研究生として入座して以来60年以上も芸能界で活動した、丹阿弥谷津子(たんあみ やつこ)さん。今回は、そんな丹阿弥さんのルーツである家族と「文学座」に入座した経緯をご紹介します。

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年齢は?出身は?身長は?本名は?

丹阿弥さんは、1924年6月25日生まれ、
東京市本所区両国(現・東京都墨田区両国)の出身、

身長157センチ、

血液型はO型、

学歴は、
東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)
⇒東京府立第十高等女学校(現・東京都立豊島高等学校)
⇒文化学院文学部卒業
(1か月後に同校の自由主義的教育が国策に合わないという理由で閉鎖されています)

ちなみに、「丹阿弥谷津子」は本名です。

父親は日本画家の丹阿彌岩吉

丹阿弥さんのお父さんは、日本画家の丹阿彌岩吉(たんあみ いわきち)さんです。

岩吉さんは、1901年6月9日、東京の両国に、大きな家と蔵を持つ漆商人(古くは皇居や幕府に出入りする家系だったそうです)の末っ子として誕生すると、小学校4年生頃から日本画を独学し始め、1917年には、絵描きを目指し、横山大観に入門したそうです。

すると、1919年には、第6回再興院展で「牡丹」が初入選するほか、第5回院展試作展では「みだれ咲き」が甲賞を受賞するなど、たちまち才能を発揮。

その後も、第7回院展試作展で「丘」(1921年)、第11回院展試作展で「村」(1925年)などを出品するほか、様々な展覧会に出品すると、1936年には、東京日本橋の白木屋で初の個展を開催し、以降、毎年個展を開催したそうです。

(そんな岩吉さんも1992年11月24日、肺炎のため、91歳で他界されています)


父・丹阿彌岩吉さんの作品。

母親は桐塑人形作家、妹は銅版画家の丹阿弥丹波子

また、丹阿弥さんのお母さんのとみゑさんも、絵描きを目指していたことから、岩吉さん出会い、結婚したそうですが、後に、桐塑(とうそ)人形作家に転身されたそうです。

ちなみに、丹阿弥さんの妹さんは銅版画家の丹阿弥丹波子(たんあみ にわこ)さんで、丹波子さんは、1960年頃から50年以上に渡り、メゾチントという技法を用いて、野に咲く草花やコップに活けられた花、グラスなどをモチーフにした作品を数多く出品し、1971年には、資生堂ギャラリーで自主企画による個展を開催すると、以降、各地で展覧会を多数開催しているそうで、遠藤周作さんや芥川喜好さんなどの本の装画も手がけているそうです。

(現在は、春陽会会員、日本美術家連盟会員だそうです)


妹・丹阿弥丹波子さん。


妹・丹阿弥丹波子さんの作品。

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高校3年生の時「文学座」に研究生として入座

さておき、丹阿弥さんは、そんな若い貧乏画家だったお父さんとお母さんのもと、2人姉妹の長女として誕生すると、築地でお芝居を観ることが好きだったお母さんに、新劇の女優になることを勧められたそうで、

お父さんが、知り合いだった小説家で劇作家の久保田万太郎さんに相談すると、

お嬢さんを預けるなら文学座がいいでしょう

と、勧められ、

丹阿弥さんは、1942年2月、高校3年生の時、「文学座」に研究生として入れてもらったのだそうです。

(久保田さんは「文学座」の設立メンバーだったそうです)

「丹阿弥谷津子は高校生で初舞台「富島松五郎伝」に出演していた!」に続く

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