1971年、「ザ・タイガース」が解散すると同時に芸能界を引退すると、京都府立山城高等学校(定時制)に復学し、
1年の浪人生活を経て、慶應義塾大学文学部中国文学科に入学・卒業すると、同大学院修士課程修了後は、慶應義塾高校の漢文と中国語の教師となり、33年間、教壇に立っていたという、瞳みのる(ひとみ みのる)さん。
今回は、そんな瞳みのるさんの、若い頃(「ザ・タイガース」解散以降)から現在までの経歴をご紹介します。

「【画像】瞳みのるの若い頃(ザ・タイガース時代)のヒット曲ほか経歴は?」からの続き
瞳みのるは24歳の時、「ザ・タイガース」解散コンサートと同時に芸能界を引退し実家に帰っていた
「ザ・タイガース」からの脱退を訴えるもなかなか認められず、ようやく脱退が認められるも、同時に「ザ・タイガース」自体も解散となったことから、「ザ・タイガース」の解散コンサート終了と共に、芸能界を引退した瞳みのるさんですが、
「ザ・タイガース」の解散コンサートの日の朝、家財道具一式を2トントラックに積み込んで武道館に行くと、解散コンサート終了後は、内田裕也さんが開いてくれた打ち上げの店の横にトラックを止め、
打ち上げの席で、メンバーたちに、
お前たちに将来はない。行く行くは乞食になっているだろう
もう二度と会うことはない
と、捨て台詞を吐き(それほど芸能界と縁を切るという決意が固かったのだそうです)、
店の前のガードレールを越えて、そのまま夜通しトラックを走らせて京都の実家に帰ったといいます。
瞳みのるは中国文学者の柴田錬三郎と親交を深め中国文学者を目指したいと思うようになっていた
実は、瞳みのるさんは、「ザ・タイガース」脱退を考え始めた頃から、「ザ・タイガース」のメンバーを含む芸能人仲間から、徐々に距離を置くようになり、
代わりに、小説家で中国文学者の柴田錬三郎さんと出会って親交を深め、中国文学者を目指したいとの思いが強まっていったそうで、一刻も早く、その場(芸能界)から立ち去りたかったのだそうです。
(瞳さんが、高校時代、唯一、真面目に取り組むことが出来たのが中国語だったそうです)
ちなみに、瞳みのるさんは、後に、
(小説家で中国文学者の柴田錬三郎さんとは)僕が通っていた六本木のレストラン「キャンティ」のオーナーの紹介で知り合いました。柴田さんは外見は苦虫を噛み潰したような顔をしていますけども、すごく面倒見が良くて心の優しい人で、外見とは全然違いましたね。
それで柴田家に出入りするようになって、柴田さんの生き方を学ばせてもらいました。柴田さんは苦しみぬいて、自分の肉を切り血を絞るように、文章を書く方だったと思います。これがプロなんだなと。なので、自分も何かをやる以上は生半可には出来ないなと思いました。
と、語っています。
瞳みのるは24歳の時、中退していた京都府立山城高等学の定時制に復学していた
そして、1971年4月には、中退していた京都府立山城高等学校の定時制の4年生に復学すると、大学受験に向けて1年間猛勉強したそうで、
瞳みのるさんは、当時を振り返り、
頭を洗う時間がもったいないと思って、髪をバッサリ切って坊主にした。外に出ると昔のファンに声をかけられるのが嫌で、英語の家庭教師を雇ったりもした。
とにかく時間がないから、朝起きて、勉強して、学校から自転車で猛ダッシュで帰って、また夜中まで勉強。もう一年やれと言われれば、絶対に無理、と言うくらい死に物狂いでやりました。
と、語っています。
瞳みのるは31歳の時に慶應義塾高等学校で国語(漢文)の教師になっていた
すると、そんな甲斐があり、翌年の1972年4月には、慶應義塾大学文学部中国文学科に合格したそうで、
その後、同大学文学部修士課程に進むと、そのまま教授になりたかったそうですが、希望する大学に空きがなかったことから、
1977年、31歳の時には、慶應義塾高等学校で国語(漢文)の教師となったそうで、それに加え、週1回、駿台予備校で漢文を教えたそうです。
瞳みのるは35歳頃から北京大学に2年間留学していた
そんな瞳みのるさんは、教師をしながら、中国文学の研究を続けていたそうで、1981年には、中国の北京大学に2年間留学すると、帰国後は、再び慶應義塾高等学校で教師を続けていたそうですが、
(第2外国語の中国語も教え始めると、大変な人気となったそうです)
漢文・中国語関連の参考書、テキストブックの著者および監修者としても、高校中国語教育に力を注いだそうです。
ちなみに、「嵐」の櫻井翔さんが、慶應義塾高等学校で中国語を選択していたそうで、瞳みのるさんから直接教わった訳ではないながら、
人見(瞳みのるさんの本名)先生の教科書を使って、中国語の勉強をしました
と、語っています。
(結局、瞳みのるさんは、教授にはなれず、ずっと教師のままだったそうですが、留学をさせてくれるなど、わがままをきいてくれる高校だったため、「まあ、いいか」と思ったそうです)

北京大学留学中にインタビューに答える瞳みのるさん。
瞳みのるは34歳の時に「ザ・タイガース」再結成への参加を拒否していた
また、この頃の瞳みのるさんは、授業のある時だけ学校に行き、あとは好きな中国文化の研究をしたり、中国のドラマを見たりして、毎日を過ごしていたそうですが、
そんなある日(瞳みのるさん34歳)、一本の電話が学校にかかってきたといいます。
そして、電話に出た人によると、その内容は、「ザ・タイガース」再結成に関することだったといいます。
ただ、当時は、「ザ・タイガース」解散から10年程の頃で、沢田研二さん以外は誰も売れていない状況だったことから、
瞳みのるさんは、瞬時にお金儲けのための再結成だと思い、
僕らのタイガースを汚すな
とカッとなり、思わず電話に出た人に、
絶対に取り次がないでくれ!
と言ったのだそうです。
実は、この電話は、内田裕也さんが企画した、グループサウンズ黄金時代の再現にあたり、「ザ・タイガース」も再結成して出演してほしい、というものだったのですが、
瞳みのるさんは、「ザ・タイガース」解散後は、元メンバー達との交流を一切断っており、この電話の後も、元メンバー、関係者ほか、マスコミからの連絡も頑なに拒否していたそうで、
ついには、そんな瞳みのるさんの態度にしびれを切らした内田裕也さんが、高校まで押しかけて面会を迫ったそうですが、それでも瞳みのるさんは断固拒否したそうで、最後には、警察が出動する騒ぎにまでなったといいます。
結局、その後、1981年1月、「さよなら日劇ウエスタン・カーニバル」が開催されると、「ザ・スパイダース」「ジャッキー吉川とブルーコメッツ」「ザ・カーナビーツ」など、往年のグループ・サウンズが再結成して集結する中、
「ザ・タイガース」も、岸部一徳さん、森本太郎さん、加橋かつみさん、沢田研二さんの4名で再結成し、参加したのだそうです。
瞳みのるが不在のまま「ザ・タイガース(同好会)」が本格的に再始動していた
また、翌年の1982年には、「ザ・タイガース」は、岸部シローさんを加えた5名で本格的に活動を開始し、
(ただ、瞳みのるさんに配慮して、「来たい人だけ来ればいい」という意味合いで、「再結成」とは言わず、一貫して「同窓会」という言葉を用いています)

(後列左から)岸部一徳さん、岸部四郎さん、森本太郎さん、(前列左から)沢田研二さん、加橋かつみさん。
同年(1982年)2月5日には、アルバム「THE TIGERS 1982」とシングル「色つきの女でいてくれよ」を同時発売すると、

「色つきの女でいてくれよ」
オリコンチャートトップ10にランクインするほか、音楽番組「ザ・ベストテン」で2位にランクインするなど、ブランクを感じさせない人気を博しており、
「ザ・タイガース(同好会)」は1983年まで活動を続けています。
(1989年には、「第40回NHK紅白歌合戦」にも出場しています)
瞳みのるは62歳の時に「ザ・タイガース」のメンバーが自身の為に作った「Long Good-by」を聴いて熱いものが込み上げていた
こうして、頑なに「ザ・タイガース」のメンバーたちとの交流を拒否し続けていた瞳みのるさんですが、その一方で、メンバーたちは、瞳みのるさんへの想いを持ち続けていたようで、
2003年には、森本太郎さんが自身のバンド「森本タローとスーパースター」で、瞳みのるさんへの想いを綴ったオリジナル曲「Long Good-by」(作詞:岸部一徳・沢田研二、作曲:森本太郎)を発表すると、
2008年9月には、この曲を沢田研二さんがNHKの音楽番組「SONGS」で歌唱しており、
それを知った瞳みのるさんは、胸にこみ上げてくるものを感じたといいます。
沢田研二「Long Good-by」&歌詞(概要欄)
実は、この曲は、1971年1月、解散直前だった「ザ・タイガース」が、最後の音楽フェスティバル「日劇ウエスタンカーニバル」に出演した際、
瞳みのるさんが、「日劇ウエスタンカーニバル」の奈落で岸部修三(現・岸部一徳)さんに「京都に一緒に帰ろう」と話したやりとりを、題材にして作られた曲だったそうで、
瞳みのるさんは、後に、その時の気持ちを、
2008年に、2週に渡って沢田を特集している、NHKの「SONGS」という番組を見たんです。
その一番最後、大トリで、沢田はあの曲(Long Good-by)を歌ったわけですね。それを考えると、彼があの曲に秘める比重というのをすごく感じました。「僕のことをそんなに想っていてくれたんだ」と熱いものを感じて、嬉しくて。
それで、これはメンバーにお返しをしなければと思って。「道」という返歌もすぐに作りました。友人が目次を作ってくれたことも後押しになりましたね。
と、語っています。
瞳みのるは62歳の時に「ザ・タイガース」の元マネージャー中井国二と再会を果たしていた
そんな中、2008年10月、慶應義塾高校の日吉祭に、「ザ・タイガース」のマネージャーだった中井国二さんが訪ねて来たそうですが、瞳みのるさんは不在だったそうで、
(瞳みのるさんは、大学に入った年に加橋かつみさんと会ったのを最後に、芸能関係者とは誰とも連絡を取っていなかったことから、連絡手段がなく、中井国二さんは、直接、高校に行ったのだそうです)
その後、瞳みのるさんが、奇術部の生徒から「人見先生に渡してほしい」と預かっていた名刺を受け取ると、名刺の裏には「Telください」と書いてあったそうで、
瞳みのるさんは、中井国二さんとも、1971年に「ザ・タイガース」解散コンサートの打ち上げの席で別れて以来だったことから、
中井さん、突然どうしたのかな?
と、気になって連絡すると、
中井国二さんに、
もうそろそろ会わないか
と言われ、中井国二さんと再会したそうですが、
中井国二さんは、会うなり、
マネジャーとしての自分の力不足で、あれほど仲のよかったメンバー5人の友情を壊してしまった
と、静かに謝罪してくれたそうで、
瞳みのるさんは、
彼も悪気はなかったんだ
と、「ザ・タイガース」を深く思ってくれている中井国二さんの姿に心を動かされ、
中井国二さんを誤解していたことに気づき、長年のわだかまりが解け始めたのだそうです
瞳みのるは62歳の時に森本太郎、岸部一徳、沢田研二と38年ぶりに再会していた
そして、2008年12月には、中井国二さんのはからいにより、ついに、森本太郎さん、岸部一徳さん、沢田研二さんとも、38年ぶりに、東京渋谷の居酒屋で再会たしたそうで、
(翌年の2009年には加橋かつみさんとも再会しています)
瞳みのるさんは、その時の様子を、
そしたらね、(森本)太郎のやつ、いきなり泣き出してね。「会いたかった」って言うんです。
沢田は緊張している様子で、こっちが、「おうっ」って言ったら、「おうっ」って。それだけか。みたいなね。
岸部も寡黙だったけど、2時間くらい話をしていたら、あっという間にバンド結成当時みたいに戻った。話題は、メンバーみんなでお世話になっていた、ゲイのタニマチの別荘に遊びに行った時の話とか、くだらないものばかりでしたよ。
と、語っており、
まるで長年のブランクがなかったかのように、すぐに打ち解けたそうで、
瞳みのるさんは、
やっぱりこいつらは一生の友達なんだってわかりました。
と、変わらぬ友情を強く実感したのだそうです。
瞳みのるは66歳の時に44年ぶりとなる「ザ・タイガース」の再結成に参加していた
その後、瞳みのるさんは、2009年3月に高校の教師を退職すると、2011年9月8日開催の沢田研二さんの全国ツアー「沢田研二 LIVE 2011~2012」に参加しているのですが、
(この時は、今度は、加橋かつみさんが参加を見送っており、「ザ・タイガース」再結成とはなりませんでした)
瞳みのるさんの音楽活動再開は、実に40年ぶりのということで、全国で瞳みのるさんの復帰を心待ちにしていたファンから、熱狂的な歓迎を受けたといいます。
そして、2013年1月には、ついに、加橋かつみさんも加わり、1969年以来、実に44年ぶりに、「ザ・タイガース」がオリジナルメンバーで再結成となると、

(後列左から)森本太郎さん、岸部一徳さん、(前列左から)沢田研二さん、加橋かつみさん、瞳みのるさん。
同年12月にスタートした日本武道館でのライブでは、全国8会場で10万人を集めるなど、再びファンを熱狂の渦に巻き込んだのでした。

2013年、「ザ・タイガース」再結成。(左から)岸部一徳さん、瞳みのるさん、沢田研二さん、加橋かつみさん、森本太郎さん。
瞳みのるの現在は?
その後、瞳みのるさんは、2014年に、「瞳みのる&二十二世紀バンド」を結成しているのですが、2026年現在も、このバンドで精力的にライブ活動を展開しています。
また、2026年2月3日には、森本太郎さんとのジョイントライブ、同年2月13日には、「四谷左門町ライブ2026」などを行うほか、オフィシャルブログには、「詞」と「食事」を毎日アップしたり、執筆、公演活動も行うなど、多方面で活動を続けています。
瞳みのるの著書
そんな瞳みのるさんは、
- 「ロング・グッバイのあとで ザ・タイガースでピーと呼ばれた男」(2011年、集英社)
- 老虎再来(2012年、祥伝社)
- ザ・タイガース「花の首飾り」物語(2013年、小学館)
などの著書も出版しています。
「瞳みのるの病気は肺炎に劇症A型肝炎に脳梗塞も!現在は?」に続く
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「ザ・タイガース」解散と同時に芸能界を引退すると、かねてから興味があったという中国文学を学ぶべく、勉強を重ね、高校教師(漢文)をしつつ、中国文学の研究を続けていたという、瞳みのる(ひとみ みのる)さん。 そんなエネルギッ …









