1967年2月5日、19歳の時、「ザ・タイガース」として「僕のマリー」でデビューすると、1967年5月5日にリリースした2ndシングル「シーサイド・バウンド」が40万枚を超える大ヒット、

さらには、1968年3月25日にリリースした5thシングル「銀河のロマンス/花の首飾り」が130枚を売り上げる大ヒットとなり、大ブレイクした、加橋かつみ(かはし かつみ)さん。

今回は、そんな加橋かつみさんの、若い頃(「ザ・タイガース」時代)の経歴を、ヒット曲を交えながら時系列でご紹介します。

加橋かつみ

「【画像】加橋かつみの若い頃(ファニーズ時代)は?田邊昭知や内田裕也からスカウトされていた!」からの続き

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加橋かつみは18歳の時、バンド名を「ファニーズ」から「ザ・タイガース」に変更させられていた

ついに「渡辺プロダクション」と契約することができた、加橋かつみさんたち「ファニーズ」は、1966年11月9日(加橋かつみさん18歳)、13時18分京都発の新幹線こだまで東京に向かったそうで、

同月12日には、「日本グラモフォン」(後に「ポリドール・レコード」⇒「ユニバーサルミュージック」に併合)のオーディションを受けると、無事、合格し、

同月15日には、内田裕也さんのはからいで、音楽番組「ザ・ヒットパレード」に初出演したそうですが、

収録当日、「ザ・ヒットパレード」のプロデューサーで作曲家のすぎやまこういちさんにより、バンド名を「ファニーズ」から「ザ・タイガース」へと変更させられたそうです。

ちなみに、「ザ・タイガース」の由来については、

「ファニーズ」が関西出身ということで、プロ野球の「阪神タイガース」から名付けられたとする説と、当時、絶大な人気を博していた「モンキーズ」の存在を意識し、動物名になったという説があり、どちらが本当なのか定かではありません。

加橋かつみは19歳の時、「ザ・タイガース」として「僕のマリー」でレコードデビューするも売り上げはパッとしなかった

そんな加橋かつみさんたち「ザ・タイガース」は、同年(1967年)2月3日、4月からレギュラー出演が決定していたバラエティ番組「シャボン玉ホリディ」の収録に初めて参加すると、

その2日後の2月5日には、「僕のマリー」でレコードデビューを果たすのですが・・・

売り上げは芳しくありませんでした。

「僕のマリー」
「僕のマリー」

加橋かつみは19歳の時、「ザ・タイガース」として2ndシングル「シーサイド・バウンド」が売り上げ40万枚超の大ヒット

ただ、1967年5月5日(加橋かつみさん19歳の時)にリリースした2枚目のシングル「シーサイド・バウンド」は40万枚を超える大ヒットとなって、たちまち注目を集めており、

「シーサイド・バウンド」
「シーサイド・バウンド」

加橋かつみさんは、この頃の生活について、

あの頃は、朝から夜中まで分単刻みのスケジュールで働いていました。労働基準法違反もいいところです。

ほとんど24時間労働ですから(笑)。

前の日にマネジャーから渡されるスケジュール表がそれこそ真っ黒。それを見ても仕方ない。「次、ここ」と言われた現場に行くしかない。それが延々と続く。戦争に行ったらこんな感じなんだろうか?と思っていました。

と、語っています。

(あまりにも忙しすぎて、ほとんど寝ておらず、この頃の記憶は全くと言っていいほどないそうです)

加橋かつみは19歳の時、「ザ・タイガース」として「モナリザの微笑」「君だけに愛を」がヒット

そして、その後も、「ザ・タイガース」は、

  • 1967年8月15日には、3枚目のシングル「モナリザの微笑」
    「モナリザの微笑」
    「モナリザの微笑」
  • 1968年1月5日には、4枚目のシングル「君だけに愛を」
    「君だけに愛を」
    「君だけに愛を」

と、シングルをリリースすると、ヒットを連発しています。

加橋かつみは20歳の時、「ザ・タイガース」として初のリードボーカルを担当した「銀河のロマンス/花の首飾り」が売上130万となる大ヒット

さらに、「ザ・タイガース」は、1968年3月25日、5枚目のシングル「銀河のロマンス/花の首飾り」をリリースすると、初のオリコンチャート1位を獲得し、130万枚を売り上げる大ヒットしているのですが、

(「ザ・タイガース」史上最大のヒット)

これまでギターとコーラスを担当していた加橋かつみさんが初めてリード・ボーカルを担当したB面の「花の首飾り」は、加橋かつみさんの澄んだハイトーンボイスが人気で、A面の「銀河のロマンス」をしのぐ人気を博したことから、

ほどなく、「花の首飾り」もA面扱いとなり、両A面表記となっています。

「銀河のロマンス/花の首飾り」
「銀河のロマンス/花の首飾り」

実は、「ザ・タイガース」をデビュー時からプロデュースしていた作曲家のすぎやまこういちさんが、日劇のコンサートで、加橋かつみさんが、ビージーズのカバー曲、「ホリデイ(Holiday)」を歌っているのを見て、

(加橋かつみさんが「ホリデイ」を歌い始めると、ファンの歓声がやみ、会場の空気が静かな緊張に包まれたそうです)

帰宅後30分で作曲したのが「花の首飾り」だったそうで、

すぎやまこういちさんは、この時のことを、

自宅で詞を何回か読んで、パッとできて、最初の「花咲く娘たちは」と、そこまでできたところで、あっ、全部できたと思って、あとはスーッと、5分ぐらいでメロディーはもうできちゃいました。

と、語っています。

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加橋かつみは20歳の時、「ザ・タイガース」として「シー・シー・シー」「廃虚の鳩」「青い鳥」が大ヒット

こうして、その人気を不動のものにした「ザ・タイガース」は、

その後も、

  • 1968年7月15日には、6枚目のシングル「シー・シー・シー」
    「シー・シー・シー」
    「シー・シー・シー」
  • 1968年10月1日には、7枚目のシングル「廃虚の鳩」
    「廃虚の鳩」
    「廃虚の鳩」
  • 1968年12月1日には、8枚目のシングル「青い鳥」
    「青い鳥」
    「青い鳥」

と、シングルをリリースすると、立て続けに、大ヒットを連発し、

当時流行していた、グループ・サウンズの中でも頂点を極めたのでした。

ただ、加橋かつみさんによると、「ザ・タイガース」がいくら売れても、「NHK紅白歌合戦」に呼ばれることもなければ、「レコード大賞」に選ばれることもなかったそうで、

「音がやかましい」「ロングヘア」というだけで、「不良」だと言われ、社会からは理解されなかったといいます。

それでも、加橋かつみさんは、

なんと言われようが、かまわない

と、思っていたそうで、

その気持は、今も変わらないそうです。

「加橋かつみの失踪事件の真相は?「ザ・タイガース」脱退理由は?」に続く

お読みいただきありがとうございました

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