2014年、日本で公開されたディズニー・アニメーション映画「アナと雪の女王」で、王女・アナ役の日本語吹替えを担当し、一躍脚光を浴びた、神田沙也加(かんだ さやか)さん。今回は、そんな沙也加さんの、有名過ぎるご家族についてご紹介します。

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年齢は?出身は?身長は?本名は?

沙也加さんは、1986年10月1日生まれ、
東京都のご出身、

身長157センチ、

血液型はA型、

学歴は、
聖ドミニコ学園幼稚園
⇒聖ドミニコ学園小学校
⇒暁星国際中学校
⇒アメリカ・ロサンゼルス日本人学校(名称不明)編入
⇒千代田学園高校(現在は、武蔵野大学附属千代田高等学院)
⇒東海大学付属望星高校(通信制・単位制)編入・卒業
(中学校は4回転校されたそうです)


中学生時代の神田さん。

趣味は、ロリータファッション、アニメ、

ちなみに、「神田沙也加」は本名で、旧芸名は「SAYAKA」です。

母親は松田聖子

沙也加さんのお母さんは、言わずと知れた、歌手の松田聖子さんです。


アイドル時代の松田聖子さん。

聖子さんは、1980年2月、「裸足の季節」でレコードデビューすると、同年8月に発売した2枚目のシングル「青い珊瑚礁」がいきなりミリオンセラーとなる大ヒットを記録。

そして、続く10月に発売した3枚目のシングル「風は秋色」は、ミリオンセラーとなったうえ、初のヒットチャート第1位を記録し、この年の「第22回日本レコード大賞」では新人賞を受賞し、「第31回NHK紅白歌合戦」にも初出場。

すると、ブロマイドの年間売上がトップとなるほか、聖子さんのヘアスタイル「聖子ちゃんカット」が全国の少女たちの間で一大ブームとなるなど、聖子さんは、一躍トップアイドルの座に上り詰めます。

さらに、聖子さんは、その後も、

1981年1月「チェリーブラッサム」
1981年4月「夏の扉」
1981年7月「白いパラソル」
1981年10月「風立ちぬ」
1982年1月「赤いスイートピー」
1982年4月「渚のバルコニー」
1982年7月「小麦色のマーメイド」
1982年10月「野ばらのエチュード」
1983年2月「秘密の花園」
1983年4月「天国のキッス」
1983年8月「ガラスの林檎」
1983年10月「瞳はダイアモンド/蒼いフォトグラフ」
1984年2月「Rock’n Rouge」
1984年8月「ピンクのモーツァルト」
1984年11月「ハートのイアリング」
1985年1月「天使のウィンク」
1985年5月「ボーイの季節」
1985年6月「DANCING SHOES」

など、出す曲出す曲大ヒットを記録し、アイドルとして絶大な人気を誇ったのでした。

父親は俳優の神田正輝

また、沙也加さんのお父さんは、俳優の神田正輝さんです。


神田正輝さんの若い頃。

神田さんは、女優の旭輝子さんと石油販売会社の二代目社長・神田正次さんの間に誕生すると、1973年、23歳の時、石原裕次郎さんにスカウトされて、1976年、「大都会 闘いの日々」でテレビドラマデビュー。

1980年には、刑事ドラマ「太陽にほえろ!」に、西條昭(通称・ドック)役で出演すると、一躍脚光を浴び、以降、数多くのテレビドラマに出演し、近年では、「山村美紗サスペンス 赤い霊柩車シリーズ」でお馴染みとなっています。

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祖母は女優の旭輝子

そして、前述の通り、沙也加さんの祖母(神田正輝さんのお母さん)は、女優の旭輝子さんです。


旭輝子さんの若い頃。

旭さんは、1937年、12歳の時、「宝塚歌劇団」を受験して合格するのですが、東京の自宅から、「宝塚歌劇団」のあった兵庫県宝塚市に通うことができずに断念すると、

翌年の1938年には、「松竹少女歌劇団」(SSK)を受験して合格し、翌年の1939年には、「松竹少女歌劇団」に6回生として入団。

1947年には、「松竹歌劇団」(「松竹少女歌劇団」から改称)を退団し、1948年、映画「唄まつり百万両」で女優デビューすると、以降、「歌ふエノケン捕物帖」などエノケン(榎本健一さん)映画に数多く出演するほか、映画、テレビドラマ、舞台にと、幅広く活躍されました。

「神田沙也加の生い立ちは?中学の時は壮絶なイジメに遭っていた!」に続く

両親(松田聖子さん、神田正輝さん)と赤ちゃんの頃の沙也加さん。

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