1974年にプロ入りすると、以降、日本女子ゴルフツアーで44勝、アメリカLPGAツアーで17勝するほか、アメリカ人以外で史上初のLPGAツアー賞金女王にも輝いた、岡本綾子(おかもと あやこ)さんですが、中学、高校、大和紡績時代は、ソフトボールのエースとして活躍していました。

今回は、そんな岡本綾子さんが、どのような経緯でプロゴルファーになったのか、生い立ち(幼少期から大和紡績時代)と共にご紹介します。

岡本綾子

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岡本綾子のプロフィール

岡本綾子さんは、1951年4月2日生まれ、
広島県豊田郡安芸津町(現・東広島市)の出身、

身長165センチ、
血液型はB型、

学歴は、
愛媛県今治明徳高校卒業、

ちなみに、岡本綾子は本名です。

岡本綾子の幼少期はままごと遊びが嫌いで男の子に混ざって田畑を駆け回るお転婆な女の子だった

岡本綾子さんは、農家の3人きょうだい(兄2人)の末っ子として誕生すると、幼い頃は、ままごと遊びが嫌いで男の子に混ざって田畑や山を駆け回ったり、家の前にあった溜池(ためいけ)の食用ガエルを平気で食べるようなお転婆(てんば)な女の子だったそうです。

また、岡本綾子さんが幼い頃は、一家総出で実家の農業を手伝い、20キロもあるじゃがいものコンテナボックスを肩に担いだり、井戸から大きなバケツに水を汲み、五右衛門風呂を沸かしたりしていたそうです。

岡本綾子の中学生時代はソフトボールでサウスポーのエースとして活躍していた

岡本綾子さんは、中学時代、野球部に入部したかったところ、女子は入れなかったことから、仕方なく、ソフトボール部に入部したそうですが、

すぐに投手として指名されると、左利きだったことから、サウスポーの速球派投手として活躍したそうです。

そして、ソフトボールで頭角を表した岡本綾子さんは、やがて、「いつか、アメリカに行きたい」という夢を抱くようになったのだそうです。

ちなみに、ソフトボールの顧問の先生からは、左打ちの指導を受けていたそうですが、中学時代の最後の試合、「右で打たせてほしい」と頼み込み、打ったところ、ホームランになったといいます。

(岡本綾子さんは、左利きですが、この頃に左投げ右打ちのパターンが確立されたようで、ゴルフでも右打ちになったようです。また、当時は左打ちのゴルフクラブがそろっておらず、入手しづらかったそうで、右利きであれ左利きであれ、右打ちでゴルフを覚えるのが当たり前だったそうです)

岡本綾子の高校時代はソフトボール部でエース兼主将に任命されるも人間関係に嫌気が差していた

こうして、岡本綾子さんは、中学卒業後は、ソフトボールの特待生としてソフトボールの強豪・愛媛県の今治明徳高校に進学し、ソフトボール部に入部すると、エース兼主将に任命されたそうですが、

練習の厳しさが半端なかったことや、初めて人間関係に悩み、ソフトボールに嫌気が差すようになったそうで、

岡本綾子さんは、後に、

(高校時代)主将に命ぜられたがそんな柄ではない、・・嫌々ながら引き受けざるを得なかった

私は人を引っ張るのが苦手

などと、語っています。

そんな岡本綾子さんは、高校卒業後の進路として、ソフトボールを離れて大学進学を希望したそうですが・・・

監督に一喝されたほか、お父さんからも説得され、高校卒業後(1970年3月)、嫌々、ソフトボール部を創部した大和紡績福井工場に就職したのだそうです。

岡本綾子の大和紡績時代はサウスポーのエース、主軸打者で国体優勝に貢献していた

すると、岡本綾子さんは、大和紡績でも、サウスポーのエースかつ、主軸打者として活躍し、1971年、20歳の時には、和歌山国体で優勝し、瀬戸社長にハワイへ祝賀旅行に連れて行ってもらったそうですが、

この時、初めて、子どもの頃から憧れていたアメリカの土地を踏んだそうで、初めてハワイのゴルフ場を行き、(当時はまだ知らなかったという)ゴルフ場のグリーン上で寝そべったり、グリーンが土俵に似ていたことから相撲を取ったりしたのだそうです。

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岡本綾子は大和紡績時代にゴルフ場で勤務したことがきっかけでプロゴルファーに転向することを決意していた

そんな中、もともと、気が進まずに大和紡績でも主将を務めていた岡本綾子さんは、後輩部員への対応などでもかなり神経をすり減らしてたいたことから、ついに、1972年、21歳の時、ソフトボールを辞めてしまったのだそうです。

そして、その後は、しばらくの間ぶらぶらしていたそうですが、やがて、工場に隣接したゴルフ練習場での勤務を言い渡されたそうで、

(この時、初めてゴルフクラブを握ったそうです)

これから何をしようかと考えていると、たまたま、「プロゴルファーを目指してみれば?」と誘われ、プロゴルファーを目指すことにしたのだそうです。

ただ、憧れのプロがいるわけでもなく、ゴルフの魅力に取りつかれてのことでもなく、プロゴルファーになれば自立して生活していける、という気持ちだけでプロテスト合格を目標にしたのだそうです。

「岡本綾子の若い頃が凄い!現在までの経歴を時系列でまとめ!」に続く

お読みいただきありがとうございました

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