1962年、映画「大小黄天覇」で子役としてデビューし、1978年には、「ドランク・モンキー 酔拳」、1979年には、「クレージー・モンキー 笑拳」の大ヒットでアジア圏でトップスターとなると、以降、ハリウッドにも進出し、「レッド・ブロンクス」、「ラッシュアワー」シリーズの大ヒットで、ハリウッドスターとしても不動の地位を築いた、ジャッキー・チェン(成龍)さん。
今回は、そんなジャッキー・チェンさんの若い頃から現在までの活躍や経歴を時系列でまとめてみました。
「ジャッキー・チェンの生い立ちは?幼少期が悲惨!両親に身売りされていた!」からの続き
ジャッキー・チェンは10代の頃(下積み時代)ブルース・リーの主演映画「ドラゴン怒りの鉄拳」にスタントマンとして出演していた
17歳で初の主演映画「廣東小老虎」(タイガー・プロジェクト)
ジャッキー・チェンさんは、1971年、17歳の時、同じ中国戯劇学院から映画界に入った先輩からの紹介で、映画「廣東小老虎」(タイガー・プロジェクト)で初めて主演を務めるのですが、ギャラも出ない、低予算のひどい映画だったといいます。(この時の名義は芸名の「陳元龍」)
「廣東小老虎」(タイガー・プロジェクト)に出演するジャッキー・チェンさん。
17歳でブルース・リーの主演映画「ドラゴン怒りの鉄拳」「燃えよドラゴン」にスタントマンとして出演
また、ジャッキー・チェンさんは、1971年、17歳の時には、ブルース・リーさんの主演映画「ドラゴン怒りの鉄拳」で、悪役・ミスター・スズキのスタントマンを務めるのですが、顔が映るのはラストシーンの一瞬だけだったそうです。
「ドラゴン怒りの鉄拳」に出演するジャッキー・チェンさん(左)とブルース・リーさん(右)。
17歳~18歳の時に映画「The Heroine」「ドラゴン・ファイター」に出演するも大失敗
そして、ジャッキー・チェンさんは、1971年、17歳の時、「The Heroine」という映画で初めてスタント・コーディネーター(武術指導)を務め、日本人の悪役としても出演しているほか、
1972年、18歳の時にも、映画「ドラゴン・ファイター」で、スタント・コーディネーター(武術指導)を務め、悪役として出演しているのですが、どちらも、興行成績は振るわず、大失敗に終わったそうです。
19歳の時には「燃えよドラゴン」でエキストラ(スタントマン)として3度出演していた
そんなジャッキー・チェンさんは、1973年、19歳の時には、ブルース・リーさんの主演映画「燃えよドラゴン」にエキストラ(スタントマン)として出演しています。
ジャッキー・チェンさんは、3度出演しているそうで、
- ブルース・リーさんが地下の秘密基地で警備に見つかった後、雑魚を相手に戦うシーンで雑魚の内の一人(首を折られる役)
- ブルース・リーさんが棒の二刀流になる直前に、カメラの手前から出て殴りかかるも、長い棒でひと叩きされる雑魚
- ヌンチャクのシーンで、後ろから走ってきて、ヌンチャクで一蹴され、池に飛込む雑魚
を、演じています。
「燃えよドラゴン」でブルース・リーさん(左)に首の骨を折られる役を演じるジャッキー・チェンさん(右)。
19歳の時に仕事がなくなりオーストラリアで左官やコックとして働いていた
そんな中、1973年に、ブルース・リーさんが脳浮腫により他界されると、このことが影響し、カンフー映画(アクション映画)の人気が下火になったそうで、ジャッキー・チェンさんは、仕事がなくなり、わずかな貯金もお酒と賭博(とばく)に使ってしまったそうです。
そして、泣く泣くオーストラリアに住む両親を訪ねていくと、そこでは、俳優業から離れ、左官やコックとして働いていたそうです。
ジャッキー・チェンは20代前半に「スネーキーモンキー 蛇拳」「ドランクモンキー 酔拳」でスーパースターの地位を不動のものにしていた
22歳の時には映画「レッド・ドラゴン/新・怒りの鉄拳」で再デビュー
しかし、1976年、22歳の時には、ロー・ウェイプロダクションの支配人であるウィリー・チャンさんの呼びかけで香港へ戻ると、芸名を「陳元龍」から「成龍(ジャッキー・チェン)」と改名し、「レッド・ドラゴン/新・怒りの鉄拳」で再デビューを果たします。
22~24歳の時には「少林寺木人拳」「成龍拳」「飛龍神拳」に出演するも失敗に終わっていた
ジャッキー・チェンさんは、その後も、1976年「少林寺木人拳」、1977年「成龍拳」、1978年「飛龍神拳」などのカンフー映画で主演を務めるのですが、どれも興行成績は振るわず、失敗に終わってしまいます。
「成龍拳」より。
24歳の時には「スネーキーモンキー 蛇拳」「ドランクモンキー 酔拳」でスーパースターの地位を不動のものにしていた
ジャッキー・チェンさんは、これまで、「第二のブルース・リー」を期待され、復讐劇でシリアスな役を与えられることが多かったのですが、これにジャッキー・チェンさんの明るいキャラクターはマッチせず、大成功には至りませんでした。
そこで、ジャッキー・チェンさんは、自身の明るいキャラクターを生かしたコミカルな路線でやっていきたいと製作側に注文をしたそうです。
すると、1978年、24歳の時には、独自のコメディ路線を打ち出した「スネーキーモンキー 蛇拳」が、大ヒットを記録し、一躍、スターダムに駆け上ると、
続く、「ドランクモンキー 酔拳」も大ヒットとなり、ジャッキー・チェンさんは、スーパースターの地位を不動のものにしたのでした。
「スネーキーモンキー 蛇拳」より。
ジャッキー・チェンは20代後半~30代に「プロジェクトA」「スパルタンX」「ポリス・ストーリー/香港国際警察」でアジアのトップスターになっていた
25歳~26歳の時には「クレージーモンキー 笑拳」「ヤングマスター 師弟出馬」が大ヒット
そんなジャッキー・チェンさんの勢いは止まらず、1979年、25歳の時には、「クレージーモンキー 笑拳」(主演 兼 監督)、1980年、26歳の時には、「ヤングマスター 師弟出馬」(主演 兼 監督)が次々と大ヒットします。
29歳~31歳の時には「プロジェクトA」「スパルタンX」「ポリス・ストーリー/香港国際警察」でアジアのトップスターに
そして、1983年、29歳の時には、「プロジェクトA」、1984年、30歳の時には、「スパルタンX」、1985年、31歳の時には、「ポリス・ストーリー/香港国際警察」で、自ら命がけのスタントをこなし、香港映画界のみならず、アジアのトップスターとなったのでした。
「スパルタンX」より。
ちなみに、「プロジェクトA」では、高さ25mの時計台から地面に落下するシーンを3回撮影したそうですが、そのうちの1回では、頭から真っ逆さまに落下し、胸椎を骨折する重傷を負ったといいます。
また、「ポリス・ストーリー/香港国際警察」では、ジャッキー・チェンさんは、百貨店の吹き抜けに設置された電飾付きポールに飛びつき、上から下まで火花の散る中を滑り降りるシーンを演じているのですが、このスタントシーンで流れた血は、ジャッキー・チェンさんの本物の血だったそうで、
The New Republicは、このシーンについて、
だからこそ勇敢で大胆なスタントに観客は息を飲んで夢中になるのだ
と、高く評価しています。
ジャッキー・チェンは40代の時は「レッド・ブロンクス」「ラッシュアワー」でハリウッドスターとしての地位を確立していた
41歳の時には「レッド・ブロンクス」がハリウッドでヒット
こうして、アジアで、アクション映画のトップスターの座に上り詰めたジャッキー・チェンさんは、ハリウッドに進出すると、1995年、41歳の時には、主演映画「レッド・ブロンクス」がヒットを記録します。
「レッド・ブロンクス」より。
(ジャッキー・チェンさんは1980年代前半に、一度ハリウッドに進出するも失敗に終わっており、これが2度目のハリウッド進出になります)
44歳の時には「ラッシュアワー」でハリウッドスターとしての地位を確立
そして、1998年、44歳の時には、クリス・タッカーさんとW主演を務めた映画「ラッシュアワー」で、アクションシーンを担当しているのですが、マシンガントーク担当のクリスタッカーさんとのやり取りが人気を博し、ジャッキー・チェンさんは、たちまち、ハリウッドスターとしての地位を確立します。
「ラッシュアワー」より。クリス・タッカーさん(左)とジャッキー・チェンさん(右)。
さらに、2001年、47歳の時には、続編「ラッシュアワー2」も、全世界興行成績で大ヒットを記録すると、
その後も、
- 2002年には、「タキシード 」
- 2003年には、「シャンハイ・ナイト」「メダリオン」
- 2004年には、「80デイズ 」
と、立て続けにハリウッド映画に出演し、押しも押されぬ人気で、東洋人を代表するハリウッドスターとなったのでした。
ジャッキー・チェンは50代の時には「ラッシュアワー3」が全米で大ヒットするも58歳でアクション映画からの引退を宣言
53歳の時には「ラッシュアワー3」が全米で大ヒット
ジャッキー・チェンさんは、その後は、アジアに立ち戻り、2004年、50歳の頃には、香港映画「香港国際警察/NEW POLICE STORY 新警察故事」を製作すると、以降、香港・中国映画とアメリカ映画に並行して出演するようになり、
2007年、53歳の頃には、真田広之さんと共演した「ラッシュアワー3」が、全米で大ヒットを記録しています。
「ラッシュアワー3」より。真田広之さん(左)とジャッキー・チェンさん(右)。
58歳でアクション映画からの引退を宣言
そんなジャッキー・チェンさんですが、2012年公開の映画「ライジング・ドラゴン」を最後に、体を張った本格アクションからは引退することを宣言しています。
ジャッキー・チェンは60代の時にアカデミー名誉賞を受賞
ジャッキー・チェンさんは、2016年、62歳の頃には、映画界への貢献が評価され、「第89回 アカデミー名誉賞」を受賞しているのですが、
いつも、お父さんから、
どうしてアカデミー賞を獲ることができないの?
と、尋ねられていたそうで、
そのたびに、ジャッキー・チェンさんは、「ははは…」と笑いながら、
お父さん、僕はアクション・コメディ映画しか作っていないからさ
と、答えるしかなかったそうですが、ついに、トロフィーを手にすることができたのでした。
ちなみに、ジャッキー・チェンさんは、授賞式で、
僕が窓から飛び降りたり、キックしてパンチして、骨折しながら映画を作り続けているのはすべて世界のファンのためだよ。ありがとう!
と、スピーチしているのですが、
会場からはスタンディングオベーションで割れんばかりの拍手を贈られています。
「第89回 アカデミー名誉賞」を受賞するジャッキー・チェンさん。
ジャッキー・チェンの現在は?
また、ジャッキー・チェンさんは、2023年、69歳にして、主演映画「ライド・オン(原題:龍馬精神)」で、アクションを披露するほか、精力的に映画制作に取り組んでいるそうで、
某中国在住ジャーナリストは、
近年、日本ではほとんど露出がありませんが、彼は70歳を目前にして(2024年3月時点)現役バリバリです。2年前に中国・浙江省の杭州にマンションを購入したジャッキーは、中国本土を拠点にしています。ご自宅の近くにはアジア最大級とも言われる撮影所『横店影視城』があるんですよ。
昨年公開された主演映画『ライド・オン(原題:龍馬精神)』(日本未公開)のなかでも、アクションを披露していますし、これから中国で公開を控える主演作品がいくつもあります。
実はこの(2024年)3月中旬、武漢市で何らかの撮影に参加する白髪姿のジャッキーの目撃写真が中国のSNSで話題になっており、彼がナチュラルな姿でいるのは、役作りの一環なのではないかとも言われているんです
と、語っており、
ジャッキー・チェンさんの映画への情熱はまだまだ衰えそうにありません。
「ジャッキー・チェンの妻との馴れ初めは?極秘結婚?現在の夫婦仲は?」に続く
2024年3月、武漢市を訪れていたジャッキー・チェンさん。
「プロジェクトA」(1984年)、「ポリス・ストーリー 香港国際警察」(1985年)、「レッド・ブロンクス」(1995年)、「ラッシュアワー」(1998年)など、数々のヒット作を世に送り出すと、その活躍が評価され、200 …