28歳の時、吉本新喜劇の座員だった9歳年下の光代さんと結婚したという、間寛平(はざま かんぺい)さんは、妻・光代さんとの間に女の子と男の子が1人ずつ誕生しています。
今回は、そんな間寛平さんの娘さんと息子さんについてご紹介します。
「間寛平の妻との馴れ初めは?結婚後は?現在の夫婦関係は?」からの続き
間寛平の娘(長女)は?
間寛平さんは、妻・光代さんとの間に、1979年頃、娘(長女)の美代さんが誕生しているそうですが、間寛平さんは、美代さんについて、ほとんど情報を明かしていないことから、美代さんは芸能人ではなく、一般のお仕事をされているようです。
間寛平が娘(長女)が3歳の時に鳴門海峡を渡るフェリーの甲板で撮った写真を大切にしている理由とは?
ただ、間寛平さんは、1982年、鳴門海峡を渡るフェリーの甲板で、3歳の美代さんと一緒に並んで撮った写真を、生涯忘れられない大事な一枚として大切にしているといいます。
というのも、この写真を撮った頃、間寛平さんは、借金で首が回らなかったうえ、一番信頼していた人にも裏切られるなど、何がなんだか分からない精神状態だったそうで、思い出したくないという気持ちから当時のことはあまり覚えていないそうですが、
はっきり言えるのは、苦しくて苦しくてどうしようもなかったということだそうです。
実は、間寛平さんは、当初、仕事もあり、家族にも恵まれ、順風満帆な人生を送っていたのですが、人の良い性格だったことから、頼みを断れず、先輩芸人たちの借金の保証人になると、その先輩たちにはことごとく逃げられてしまったそうで、
借り先が街金(まちきん)だったことから、すごい勢いで借金がふくらんでいき、間寛平さんは、返済のため、寝る間も惜しんで働いたそうですが、異常なほどに高い金利は全然減らず、借金取りが劇場にまで取り立てに来たそうで、走って逃げる毎日だったのだそうです。
また、追い打ちをかけるように、地方巡業の帰り道、居眠り運転をしてしまい、高校野球を応援に行くバスと衝突事故を起こしてしまったそうで、なんとか必死で弁償金をかき集めたそうですが、なんと、そのお金も友人にネコババされてしまったのだそうです。
そんなどん底のさらにどん底の中、自家用車に家族を乗せて、徳島にある相手先に謝罪に行ったそうですが、この写真は、その帰り道のフェリーで撮った一枚だったそうで、
間寛平さんは、
鳴門の渦潮(うずしお)ってありますよね。船のデッキからぱっと覗(のぞ)き込むと、ごっつう大きい渦が見える。ぐるんぐるん潮の流れが回っては消え、回っては消え…。思い出すと、それをぼんやりと見ていた、気が抜けたようにね…。
その時はもうノイローゼみたいになってしまっていて、もうあかん、もうダメや。頭によぎったのが、この娘の手を引いて一緒にこの渦に飛び込んでしまおう。みんなでいなくなったほうが楽やと。
本当にお恥ずかしい話なんですけど、精神的に追い詰められ、おかしくなって、あの時は正常じゃなかった。どうかしていました。
と、語っています。
間寛平の娘(長女)が鳴門海峡を渡るフェリーの甲板で撮影した写真を宝物として家に飾ってくれていた
ちなみに、間寛平さんは、その後、最悪な状況から立ち直っているのですが、
既に成人した娘の美代さんにこの写真を見せながら、
(美代さんは、幼かったため当時の記憶はほとんどないそうですが)
この時がお父さん、一番つらかった。信頼している人やいろんな人にだまされて、辛(つら)あて…。これは、その時自分がこんなにアホやったんや、と気づかせてくれる写真やねん
と、当時の心境を正直に話すと、
美代さんは、
お父さんが一番苦しかったことがわかる。これは宝物やね
と、言って、この写真を家に飾り、その後もずっと大事に飾り続けてくれたそうで、
間寛平さんは、
アホなお父ちゃんなのに、家族はよう懐いてくれていますから、本当に感謝しかない。やっぱり家族がいるからこそ、今までがんばってこれたんやないかなと思います。
と、語っています。
間寛平の息子(長男)はシンガーソングライターの間慎太郎
間寛平さんの息子(長男)さんは、1981年に誕生した、シンガーソングライターの間慎太郎(はざま しんたろう)さんです。
間寛平さん(左)と息子の間慎太郎さん(右)
間慎太郎さんは、1985年、4歳の時、「吉本コメディ」のゲスト出演者として初舞台を踏むと、お父さんの間寛平さんら家族とともにバラエティ番組やCMに出演するなど、芸能活動をしていたそうですが、中学・高校・大学時代は学業を優先するため、芸能活動を休止していたそうです。
しかし、その後、学生時代からバンド活動やギター1本での路上ライブに打ち込むと、2005年、ミニアルバム「バーボンストリート」でシンガーソングライターとしてデビューしています。
また、映画やラジオ、バラエティー番組などにも出演し、俳優、タレントとしても活動しています。
間慎太郎は「間寛平の息子」というより「寛平ちゃんのファン」だった
そんな間慎太郎さんは、幼い頃から、「間寛平の息子」というよりも、「寛平ちゃんのファン」だったそうで、
家に寛平ちゃんおるから、見においでや
と、友達を連れて来たそうですが、
間寛平さんは、「アヘアヘアヘ…」「かい~の」といったギャグを惜しみなくやってくれたのだそうです。
ちなみに、間慎太郎さんが中学生くらいの頃、寝ている時に、蚊が耳元を飛び回るのがうるさく、
こっちが血ぃ吸うたろか!
と、言い、
今のどう、おもろない?
と、お父さんに聞くと、
お父さんには、
単純やから、アカン
と、言われてしまったそうですが、
お父さんは、ちゃっかり、翌日のテレビの生放送で、
血ぃ吸うたろか~
と、間慎太郎さんの考えたギャグを、早速披露していたそうです(笑)
間寛平の息子(長男)・間慎太郎は父親を世界一尊敬していると語っていた
そんな父・間寛平さんのことを、間慎太郎さんは、
40歳を過ぎ、曲を作り、歌うことを続ける難しさも感じます。でも、続けることが大切で、それが親孝行にもつながるのかな、と。
父も地球一周という挑戦を掲げ、毎日50キロ走るといった練習を50代後半から3年くらい続けた。努力を一日も怠らない手本をずっと見せてもらっています。
子どもの時から、たくさんの人を幸せにしている偉大な人やと思っていました。世界で一番、尊敬してますね。
と、語っています。
「間寛平はアースマラソンの途中で前立腺ガンが判明していた!」に続く
自分の足で陸地を走り、風の力を使ってヨットで海を渡るという、西から東へ地球を一周する壮大な試みである「アースマラソン」を、2008年12月17日、大阪府大阪市のなんばグランド花月よりスタートさせた、間寛平(はざま かんぺ …