自分の足で陸地を走り、風の力を使ってヨットで海を渡るという、西から東へ地球を一周する壮大な試みである「アースマラソン」を、2008年12月17日、大阪府大阪市のなんばグランド花月よりスタートさせた、間寛平(はざま かんぺい)さんですが、その「アースマラソン」の途中、トルコで前立腺ガンが判明していたといいます。

今回は、そんな間寛平さんが、前立腺ガンと診断されるまでの経緯、前立腺ガンと診断された後の治療、現在についてご紹介します。

間寛平

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間寛平は「アースマラソン」の途中で前立腺ガンが判明していた

間寛平さんは、2010年1月、「アースマラソン」挑戦の途中で、前立腺ガンが判明しています。

間寛平さんは、2008年12月17日、地球を1周するプロジェクト、「アースマラソン」をスタートさせると、太平洋をヨットで横断し、2009年3月にアメリカ・ロサンゼルスに到着後、メディカルチェックを受けたそうです。

すると、PSA検査では22.87という高い値だったそうですが、70日間ヨットに同乗したパートナーも同様にPSA値が高かったため、

これは水分を十分にとらなかったことで浄化作用が働かなかったための雑菌繁殖ではないか

と診断され、抗生物質を服用したそうです。

(※PSAの検査は腫瘍マーカーの一つで、主に前立腺ガンを見つけるために行われるそうです。また、PSAの基準値は一般的には0~4ng/mLだそうです)

間寛平さんは、以降、PSA値をチェックすることにすると、2009年4月のコロラドでは34.20と上昇したそうですが、同年7月のニューヨークでは27.66と若干減少し、その後も大きな変化はなかったそうです。

ところが、同年12月のトルコでは42.54と急上昇したため、2010年1月に生体検査を受けたところ、前立腺ガンが判明したのだそうです。

(幸運なことに、転移は見られなかったそうです)

間寛平は前立腺ガンの治療でホルモン療法から最先端の放射線治療に切り替えていた

その後、間寛平さんは、ホルモン療法を行いながらアースマラソンを再開すると、PSAの値は順調に下がり、3月、イランのテヘランでは0.3にまで減少したそうです。

しかし、様々なことを医師に相談した結果、ホルモン療法では根治に至らないことが分かり、医師の勧めもあり、4月から、最先端の放射線治療を行うことを決意したのだそうです。

間寛平は前立腺ガンの治療のため放射線治療とホルモン療法を併用しつつ、高線量率小線源療法も受けていた

こうして間寛平さんは、2010年4月、前立腺ガン治療のため、「アースマラソン」を中断してサンフランシスコに渡り、放射線治療を開始すると、ホルモン療法を併用しながら、1回15分、5週間で計25回の治療を受け、

さらには、前立腺に刺した針から強い放射線を照射する「高線量率小線源療法」も受けるなど、見える限りのガンの治療をしたのだそうです。

そして、その後、この年(2010年)6月には、中央アジア・トルクメニスタンに戻りマラソンを再開すると、翌年2011年1月、大阪・なんばグランド花月にゴールし、移動距離4万1040キロメートル、2年余りの「アースマラソン」を終えたのでした。

間寛平は前立腺ガン治療の副作用で頻尿に苦しんでいた

しかし、帰国後、しばらくは頻尿(ひんにょう)に苦しみ、水をイメージするだけで尿意を催(もよお)したそうで、

間寛平さんは、

水の音を聞いたらトイレ。ゴルフで池を見たらトイレ

という日々だったことを語っています。

また、放射線があたったことから、膀胱(ぼうこう)が炎症を起こしていたそうで、血尿にも悩まされたのだそうです。

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間寛平は前立腺ガンから無事に回復していた

しかし、そのような症状も3年ほどで治まり、無事に回復したそうで、

間寛平さんは、

同世代の人が頻尿に悩むようになったけど、僕は快調そのもの。膀胱の皮膚が新しくなったおかげかな

と、語っています。

ちなみに、間寛平さんは、現在も、年に1回の検査は欠かさず受けているそうで、

治療を担当した医師から『がんをボッコボコにやっつけておいた』と言われたけれど、前立腺は残っているから、再発には気いつけないと

とも語っています。

(間寛平さんは、2024年現在、吉本新喜劇のGM(ゼネラルマネージャー)として活動するなど元気にされています)

「間寛平と坂田利夫の関係が深い!同じマンションで夕食も共にしていた!」に続く

お読みいただきありがとうございました

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