吉本興業の先輩である坂田利夫さんと、テレビ番組での共演で知り合って以来、54年間の親交があったという、間寛平さん(はざま かんぺい)さんは、坂田利夫さんとは深い師弟愛で結ばれていたそうで、2023年12月29日、坂田利夫さんの臨終の際には、入院先の病院に駆けつけ、最期を坂田利夫さんの親族とともに見守ったといいます。
今回は、そんな間寛平さんと坂田利夫さんの出会い、54年間に渡る交流、坂田利夫さんが他界されるまでについてご紹介します。
「間寛平はアースマラソンの途中で前立腺ガンが判明していた!」からの続き
間寛平は坂田利夫とテレビ番組「爆笑寄席」での共演で知り合っていた
間寛平さんは、吉本新喜劇に入りたての20歳の頃、テレビ番組「爆笑寄席」(「あっちこっち丁稚」との話も)での共演で坂田利夫さんと知り合ったそうですが、
坂田利夫さんは、その時すでに売れっ子だったにもかかわらず、偉ぶらず、とても優しく、甘えるとかわいがってくれたそうです。
間寛平と坂田利夫は若手の頃家がなく劇場の近くのラブホテルに寝泊まりしていた
間寛平さんは、その頃、家がなく、楽屋や芸人仲間の家を転々とする生活を送っていたそうですが、若手だった坂田利夫さんも同じような生活を送っていたそうで、「なんば花月(現在はなんばグランド花月)」の近くに、家のない座員を泊めてくれるラブホテルがあり、そこで一緒に寝泊まりしていたそうです。
ちなみに、そのラブホテルの部屋は畳の部屋で、親指と人差し指の輪っかくらいの小さな穴が壁の下に開いていたそうですが、隣の部屋から足音が聞こえてきて、「誰か入って来たんちゃうか?」と、二人してその穴を覗(のぞ)いたところ、向こうもこちら側を覗いていたことがあったそうです(笑)
間寛平と坂田利夫は同じマンションの5階と7階に住んでいた
その後、間寛平さんは、29歳で結婚し、マンションを借りたそうですが、
その際、坂田利夫さんに、
わしの分も借りてくれ。借り方わからへんねん
と、言われたそうで、
間寛平さんは、奥さんにその手続きを全部してもらい、同じマンションの5階に間寛平さん、7階に坂田利夫さんが住むことになったそうです。
間寛平の家に坂田利夫は毎日のように食事に来ていた
すると、坂田利夫さんは、夜はほぼ毎日、間寛平さんの家に食事をしに来たそうで、やがて、間寛平さんの子供たちは、間寛平さんのことを「お父さん」、坂田利夫さんのことを「パパ」と呼ぶようになったそうで、
息子の間慎太郎さんは、大人になってからも、仕事場では「坂田さん」と呼ぶも、二人きりの時は「坂田のパパ」と呼んでいたといいます。
(なんと、そんな暮らしが11~12年も続いたのだそうです)
間寛平と坂田利夫の最後の共演は吉本興業創業110周年公演「伝説の一日」
こうして、深いつながりを持っていた間寛平さんと坂田利夫さんですが、
坂田利夫さんは、2014年、73歳の時に、転んで脚の骨を折り、入院すると、これをきっかけに体が弱くなってしまったそうで、2022年7月30日に大阪市内のYES THEATERで開催された「さざなみ寄席」が最後の出演となってしまったのでした。
ちなみに、坂田利夫さんと間寛平さんの共演は、2022年4月になんばグランド花月で行われた吉本興業創業110周年公演「伝説の一日」が最後となっているのですが、
坂田利夫さんに、
アホ!
と、言われた間寛平さんが、
アホにアホ言われたら…もう帰れ!
と、返すと、
レジェンド同士の掛け合いは観客を大いに沸かせたのでした。
間寛平は体が弱くなった坂田利夫を週に1~2回見舞うようになっていた
その後も、間寛平さんは、坂田利夫さんがずっと一人暮らしにもかかわらず、ガスも使えず、また、寝室のベッドではなく、ソファで寝るような人だったことから、心配して、奥さんと一緒に、週に1~2回ご飯を作って持って行っていたそうですが、あまり食べてくれず、心配していたそうです。
また、間寛平さん夫婦が会いに行くと、坂田利夫さんはとても喜んでくれ、楽しい時間を過ごしたそうですが、間寛平さんが帰る時間になると、坂田利夫さんは寂しそうな顔をしていたそうです。
(それを見て、間寛平さんの奥さんも「お兄さん寂しいだろう」と言って泣いていたそうです)
間寛平は坂田利夫が高齢者施設に入居後も10日1回のペースで訪問していた
そして、いつ頃かは不明ですが、坂田利夫さんは高齢者施設に移ったそうですが、間寛平さん夫婦は、10日に1回ほどのペースで訪問していたそうで、
間寛平さんは、
若い頃から世話になって、一緒に生活をしてきたから少しのことでも気になる。でも、続けられたのは嫁の優しさがあったからです。
遊びに行こう、ご飯食べよう、とか、いつも言ってました。身の回りのこととかも。そうやって形にすると相手に伝わります。帰る時に寂しい顔をされるとつらいけれど、じゃあ次は何を、と考えられる
と、語っています。
間寛平は坂田利夫の高齢者施設での様子をSNSにアップし近況をファンに報告していた
そんな間寛平さんは、2023年10月3日には、坂田利夫さんの82歳の誕生日(10月7日)を祝う様子を自身のSNSにアップするなど、坂田利夫さんの近況をファンに報告。
坂田利夫さんの82歳の誕生日を祝う間寛平さん。
2023年11月27日には、「大先生ちょっと毛が生えてきてます」とのコメントとともに、坂田利夫さんの頭をなでる写真をSNSにアップしていたのですが・・・
間寛平は坂田利夫の臨終に駆けつけ「アーメマ!」と叫んでいた
2023年12月20日、クリスマスケーキを持って坂田利夫さんを訪問すると、坂田利夫さんは、熱が出て病院に運ばれた後だったそうです。
その後、12月26日午前10時頃に連絡があり、夫婦で病院に駆けつけたところ、医師から午後5時頃が危ないと聞かされたそうで、その言葉通り、午後5時頃、病室が騒がしくなり、看護師さんに「声かけてください」と言われ、
間寛平さんは、
頑張れ
兄さん頑張れ
などと、言葉をかけ続けたそうです。
ただ、だんだん、かける言葉が少なくなっていったそうで、それでも一生懸命声をかけ続け、最後に、病室に響き渡るような大きな声で、自身のギャグである、
アーメマ!
と、声をかけると、
坂田利夫さんは生き返り、それから3日間、持ち直したそうですが、12月29日には、間寛平さん夫婦と親族に見守られながら息を引き取ったのだそうです。
間寛平は坂田利夫に教えられた”ボケ”を継ぐことを決意していた
ちなみに、坂田利夫さんが死去したことで、しばらく憔悴(しょうすい)していたという間寛平さんですが、
ボケは皆に好かれなあかんし、かわいいボケでおらなあかんで
という、坂田利夫さんに教えられた”ボケ”を継ぐ決意をしたことを語っています。
また、間寛平さんは、そんな大師匠・坂田利夫さんについて、
坂田利夫大先生との想いでは僕の宝物です。坂田利夫大先生に出会えたことに感謝します
坂田兄やんは『アホの坂田』と言われていますが、僕にとっては大師匠という存在です。今の時代にアホの道を極めることができるような芸人はいないし、二度とあそこまでの芸人は出てこないと思います
と、語っています。
2015年8月「さんまのまんま」出演時の間寛平さんと坂田利夫さん。
1969年、20歳の時、ストリップ劇場の幕間コントで芸人デビューすると、以降、「アヘアヘアヘアヘ…」「ア~メマ!」「かい~の」などのギャグで関西を中心に絶大な人気を誇った、間寛平(はざま かんぺい)さんですが、 もともと …