大学卒業後の1963年、アナウンサーとしてフジテレビに入社すると、その後、「小川宏ショー」「FNNスーパータイム」「FNS歌謡祭」「FNS27時間テレビ」など、数多くの情報番組、報道番組などで司会を務めた、露木茂(つゆき しげる)さんですが、

実は、高校・大学時代には、ボート部で活動するも、大学2年生の時に、肋膜(結核)を病んでドクターストップがかかり、ボート部を辞めてアナウンス研究会に入部していたそうで、その後、アルバイトで、学生バンドの司会を務めると、学費が賄(まかな)えるほどの高収入を得ていたといいます。

今回は、そんな露木茂さんの、生い立ち(中学生時代から大学卒業まで)をご紹介します。

露木茂

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露木茂のプロフィール

露木茂さんは、1940年12月6日生まれ、
東京府東京市麹町区(現・東京都千代田区)の出身、

血液型はA型、

学歴は、
千代田区立麹町小学校
⇒千代田区立麹町中学校
⇒早稲田大学高等学院(早大学院)
⇒早稲田大学政治経済学部経済学科

趣味は、ハワイアン音楽、

ちなみに、露木茂は本名です。

(刑事ドラマ「太陽にほえろ!」の「山さん」役でお馴染みの露口茂さんとは別人です)

露木茂は中学1年生の時に近所の電気屋で初めてテレビを見ていた

露木茂さんが初めてテレビを見たのは中学1年生の時だったといいます。

近所の電気店のショールームに、テレビが画面にカバーをかけて飾ってあったそうで、夕方になると、お店の人が電源を入れてくれたことから、通りかかった人や近所の人が集まって、みんなで一緒にテレビを見たそうで、これが露木茂さんとテレビの最初の出会いだったそうです。

ちなみに、東京タワーができる前の東京には3本の電波塔があったそうで、露木茂さんは、この3本の鉄塔を見ながら中学校に通っていたそうです。

(日本テレビは千代田区二番町、NHKは同区紀尾井町、TBSは港区赤坂にあったそうです)

露木茂は大学時代に結核になり、ボート部を辞めアナウンス研究会に移っていた

露木茂さんは、高校・大学時代は、ボート部に在籍していたそうですが、大学2年生の時に、肋膜(結核)を病み、ドクターストップがかかったそうで、

やむなくボート部を辞め、アナウンス研究会(テレビ放送研究会)に入ったそうです。

露木茂は大学時代は学生バンドの司会で高収入を得ていた

そんな露木茂さんは、大学生時代、アルバイトで、学生バンドの司会をしたそうですが、学生バンドの司会は単価が高く、ひと夏で15万円も稼いだそうで、

親の仕送りが不要になるどころか、学費が賄(まかな)えるほど高収入だったそうです。

(そのほか、東京中日新聞の電話ニュースアナウンサーのアルバイトもしていたそうです)

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露木茂は大学卒業後、通常より1ヶ月早くフジテレビに入社していた

そして、大学卒業後の1963年、22歳の時には、アナウンサーとしてフジテレビに入社したそうですが、入社日は、通常よりも1ヶ月早い、3月1日入社だったそうです。

というのも、当時のフジテレビは、ニッポン放送と文化放送の共同出資で設立されていたのですが、設立されてから月日が浅かったことから、自社アナウンサーが不足しており、露木茂さんは、新人にもかかわらず、いきなり仕事をするように言われていたのだそうです。

(そのため、露木茂さんは、早稲田大学の在学末期からアナウンサーの研修を受けていたそうです)

ちなみに、露木茂さんは、電話ニュースアナウンサーでアルバイトをしていた時の先輩に倣(なら)って、日本麦酒(後のサッポロビール)の就職試験も受けていたそうで、フジテレビよりも先に内定をもらっていたそうですが、最終的には、フジテレビに決めたのだそうです。

「【画像】露木茂の若い頃は?現在までの経歴を時系列まとめ!」に続く

お読みいただきありがとうございました

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