1955年、NHKの人気クイズ番組「ジェスチャー」で司会を務めると、1965年からは、フリーとなり、「小川宏ショー」で、17年間に渡り、その温厚な人柄がにじみ出た司会で人気を博してフジテレビの「朝の顔」として親しまれた、小川宏(おがわ ひろし)さん。

今回は、そんな小川宏さんの若い頃からの活躍や経歴を時系列でまとめてみました。

小川宏

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小川宏のプロフィール

小川宏さんは、1926年4月17日生まれ、
東京府南葛飾郡寺島村(後の東京市向島区、現・東京都墨田区東向島)の出身、

学歴は、
東京府立第七中学校(現・東京都立墨田川高等学校)
⇒東京都立墨田川高等学校
⇒早稲田大学専門部工科建築科卒業で、

2016年11月29日、90歳で亡くなっています。

なお、千葉ロッテマリーンズの元野球選手「小川博」さんとは別人です。

小川宏は大卒後は「間組」に入社するも半年で退職し、20歳の時にNHKに二次募集で入局していた

小川宏さんは、早稲田大学卒業後、大手建設会社「間組」(現在の安藤ハザマ)に入社するのですが、半年で退職すると、1949年、20歳の時に、NHKに二次募集で入局し、福島・郡山放送局、山形・鶴岡放送局(現在はいずれも「支局」)での勤務を経て、1952年、東京放送局勤務となったそうです。

小川宏は29歳の時にクイズ番組「ジェスチャー」の4代目司会者として人気を博す

小川宏さんは、1955年、29歳の時には、クイズ番組「ジェスチャー」の4代目司会者に起用されると、たちまち人気を博し、以降、10年に渡り、司会を務めています。

ちなみに、クイズ番組「ジェスチャー」は、文章で書かれたお題を身ぶり手ぶりだけで表現し、時間内に当てるというクイズ番組で、柳家金語楼さんと水の江滝子さんがそれぞれ男女両軍のキャプテンとなり男女対抗で競うというものでした。

小川宏は38歳の時にワイドショー番組「小川宏ショー」の総合司会で人気を博していた

そんな小川宏さんは、1965年1月、38歳の時には、フジテレビと専属契約を結び、その後NHKを退職すると、同年5月3日、主婦向けワイドショー番組として「小川宏ショー」が放送スタート。

すると、小川宏さんの穏やかな雰囲気や話し方が主婦層に人気を博し、以降、通算17年に渡り、総合司会を務めたのでした。

(番組がさらさらと進行することから「春の小川」の異名を取ったそうです)

また、「小川宏ショー」には、石原裕次郎さん、プロ野球選手だった長嶋茂雄さん、黒柳徹子さん、永六輔さん、杉村春子さんなどの大物が多数出演しているのですが、これも、小川宏さんの司会に対する信頼を裏付けるものとなり、ワイドショーの司会としては第一人者と評されたのでした。

小川宏ショー
(左から)長嶋茂雄さん、小川宏さん、石原裕次郎さん。

(「小川宏ショー」は、放送回数が4451回に上り、「人名を冠した番組の最長寿記録」としてギネスブックから認定・掲載されているのですが、後に、「森田一義アワー 笑っていいとも!」総合司会のタモリさんにより、この記録が塗り替えられています)

小川宏はNHK退職前に事前にフジテレビから「小川宏ショー」総合司会の打診があった

実は、NET(現・朝日テレビ)が1964年4月1日に「モーニングショー」を放送開始したことに、フジテレビも刺激を受け、ワイドショー・情報番組の企画を考えていたそうですが、

フジテレビ内部には総合司会ができる人材がおらず、4人のNHKアナウンサーを候補として挙げていたそうで、その中の1人が小川宏さんだったそうです。

そこで、1965年1月、小川宏さんとフジテレビで話し合いが行われ、

担当者が、

フジの看板となるようなニュースショーをやりたいが、何とか協力してくれないか

と、言ったそうですが、

この時は、小川宏さんは、

私も是非やりたいが、相談する人がいるので若干の時間を(下さい)

と、答え、この時点では、話はまとまらなかったそうです。

ただ、3回目の話し合いで、フジテレビ側から契約金について話があると、

小川宏さんは、

それで結構です。ただし、契約は1年ごとということですが、最初は2年にしてください

と、条件を出し、

フジテレビがこの条件を飲んだそうで、

小川宏さんは、NHKからフジテレビに「局契約(嘱託職)」として移籍したのだそうです。

露木茂と小川宏
「小川宏ショー」より。(左から)アシスタントの木元教子さん、小川宏さん、露木茂さん。

小川宏は55歳の時に「小川宏ショー」の最終回を迎えていた

ただ、そんな「小川宏ショー」も、1982年3月には、フジテレビの朝の時間帯の編成見直しに伴い終了しています。

最終回では、スタジオに歴代アシスタントや、第1回目ゲストの坂本九さんを始め、各界の著名人や小川宏さんとゆかりのある人たちが集合すると、

ラストは、俳優の森繁久彌さんが登場して別れを述べ、最後は坂本九さんが「さよなら さよなら」を歌って締めくくられたのでした。

「小川宏ショー」の最終回
「小川宏ショー」の最終回より。森繁久彌さん(左)と小川宏さん(右)

小川宏は58歳~60歳の時には「オールスター家族対抗歌合戦」の司会を担当

小川宏さんは、「小川宏ショー」が終了した後、1984年7月(58歳)~1986年9月(60歳)には、「オールスター家族対抗歌合戦」などの司会を担当しています。

「オールスター家族対抗歌合戦」
「オールスター家族対抗歌合戦」より。

小川宏は66歳の時にうつ病と診断されると、「徹子の部屋」で告白し社会的な理解を進めるきっかけを作っていた

ただ、小川宏さんは、1992年、66歳の時には、あと一歩で電車に飛び込む自殺未遂を起こしています。

この時は、なんとか思いとどまり、その後、医療機関を受診すると、うつ病と診断され入院したそうで、

翌年の1993年、67歳の時には、トーク番組「徹子の部屋」でうつ病を告白し、社会的な理解を進めるきっかけを作っています。

そして、その後は、家族のサポートもあってうつ病を克服すると、闘病経験をもとに執筆、講演活動を精力的に行っています。

(講演の仕事は80歳まで行っていたそうです)

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小川宏は90歳で他界

しかし、そんな小川宏さんも、2006年、80歳頃から、様々な病気にかかり、入退院を繰り返すと、2016年、10月半ばには、肺炎と軽い心不全で東京都内の病院に入院し、11月29日、多臓器不全により、90歳で他界されたのでした。

「小川宏の妻との馴れ初めは?老老介護されていた!子供は息子1人と娘2人!」に続く

お読みいただきありがとうございました

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