1965年、「てんぷくトリオ」として、歌謡バラエティ番組「九ちゃん!」に出演すると、楽器、歌、ダンスなど、これまでの路線とはまったく違った芸風を披露し、一躍、人気お笑いトリオとしての地位を確立された、伊東四朗(いとう しろう)さんですが、これをきっかけに、俳優としての仕事が数多く舞い込むようになります。今回は、そんな伊東さんのデビューからの出演作品を画像を交えてご紹介します。

「伊東四朗が若い頃はてんぷくトリオでブレイクしていた!」からの続き

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出演作品(テレビドラマ)

それでは、ここで、伊東さんのデビューからの主な出演作品をご紹介しましょう。

テレビドラマでは、

1969年 NHK大河ドラマ「天と地と」
1970年「時間ですよ 第1シリーズ」
1971~1972年「一心太助」
1974年「太陽にほえろ!」第91話
1975年「悪魔のようなあいつ」
1977年「ムー」


「悪魔のようなあいつ」より。伊東さんと沢田研二さん。


「ムー」より。

1978年「あゝにっぽん活動大写真」
1979年「騎馬奉行」
1980年「ピーマン白書」第1話
1981年「同心暁蘭之介」
1982年「江戸川乱歩の天国と地獄の美女」
1983年 NHK連続テレビ小説「おしん」


「おしん」より。泉ピン子さんと伊東さん。

1984年「パパになりたかった犬」
1985年「’85年型家族あわせ」
1986年「あゝ単身赴任」
1987年「スタンドバイミー 〜気まぐれ白書〜」
1989年 NHK大河ドラマ「春日局」
1989~1990年「はいすくーる落書シリーズ」


「はいすくーる落書シリーズ」より。

1990年「想い出にかわるまで」
1991年「世にも奇妙な物語「石田部長代理の災難」」
1992~2015年「十津川警部シリーズ」
1993年 朝の連続テレビ小説「ひらり」
1994年「ボクの就職」
1995年「きのうの敵は今日も敵」


「ひらり」より。(左から)伊東さん、石田ひかりさん、島田正吾さん。

1996年「ナニワ金融道2」
1997年「最後の恋」
1998年「立入禁止! STAFF ONLY stage23」
1999年「ディア・フレンド」
2000年 朝の連続テレビ小説「私の青空」
2001年「明日があるさ」


「私の青空」より。

2002年「モーニング娘。新春! LOVEストーリーズ「時をかける少女」」
2003年「ブラックジャックによろしく」
2004年「異議あり! 女弁護士大岡法江」
2005年「零のかなたへ〜THE WINDS OF GOD〜」
2006年「PS -羅生門-」
2007年「白虎隊」

2008~2018年「警視庁捜査一課9係 -」
2009年「命のバトン〜最高の人生の終わり方」
2011年「四十九日のレシピ」
2012年「つるかめ助産院〜南の島から〜」
2013年「潜入探偵トカゲ」
2014年「歴史カクテル」


「つるかめ助産院〜南の島から〜」より。伊東さんと余貴美子さん。

2015年「遺産争族」
2017年「植木等とのぼせもん」
2018年「三匹のおっさんスペシャル」
2019年「マンゴーの樹の下で〜ルソン島、戦火の約束〜」
2020年「ハケンの品格 第2シリーズ」


「植木等とのぼせもん」より。

出演作品(映画)

映画では、

1961年「お世継ぎ初道中」
1968年「進め!ジャガーズ 敵前上陸」
1971年「新座頭市・破れ!唐人剣」
1973年「ダメおやじ」
1974年「ルパン三世 念力珍作戦」
1975年「正義だ!味方だ!全員集合!!」


「進め!ジャガーズ 敵前上陸」より。

1979年「夢一族 ザ・らいばる」
1982年「誘拐報道」
1983年「スパルタの海」
1985年「ビッグマグナム 黒岩先生」
1987年「マルサの女」
     「竹取物語」


「スパルタの海」より。


「マルサの女」より。

1988年「極道渡世の素敵な面々」
1990年「稲村ジェーン」
1991年「天河伝説殺人事件」
1992年「ミンボーの女」
1994年「集団左遷」
1996年「スーパーの女」


「スーパーの女」より。(左から)宮本信子さん、津川雅彦さん、伊東さん。

2002年「明日があるさ THE MOVIE」
2004年「NIN×NIN 忍者ハットリくん THE MOVIE」
2006年「THE 有頂天ホテル」
2007年「しゃべれどもしゃべれども」
     「舞妓Haaaan!!!」
2008年「築地魚河岸三代目」


「THE 有頂天ホテル」より。

2009年「引き出しの中のラブレター」
     「さまよう刃」
2010年「ゴールデンスランバー」
2011年「サラリーマンNEO 劇場版(笑)」
2013年「謎解きはディナーのあとで」
2019年「ヒキタさん! ご懐妊ですよ」
     「ロバマン 」


「ロバマン」より。

ほか、数多くの作品に出演されています。

市川崑監督が伊東四朗の演技を絶賛していた

ところで、伊東さんは、1965年、歌謡バラエティ番組「九ちゃん!」に、「てんぷくトリオ」として出演し、楽器、歌、ダンスなどを披露していたのですが、

1968年には、「九ちゃん!」での伊東さんのコントを見た映画監督の市川崑さんが、朝日新聞の元旦の「私の好きな新進」というコラムに、

てんぷくトリオの中の一番若くて一番やせている人。演技開眼したらしく、からだとセリフのタイミングが見事。おもしろい。

と、書いてくれたそうで、

このことを知った伊東さんは、

驚きましたねえ。あんな大監督が番組を見ているんだ!

と、とてもうれしかったそうです。

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NHK大河ドラマ「天と地と」の出演で本格的に俳優業に

そして、1969年には、今度は、NHKの演出家・岡崎さんが、「九ちゃん!」での伊東さんのコントを見て、NHK大河ドラマ「天と地と」のオファーをくれたそうで、

このことがきっかけとなり、伊東さんは、以降、単独(ピン)での役者の仕事が増えていったそうです。


「天と地と」より。

(実は、配役会議では、岡崎さんを除く全員が、伊東さんの起用に反対したそうですが、岡崎さんは、反対されればされるほど、伊東さんを出演させたくなったのだとか)

ちなみに、伊東さんによると、もともと、「てんぷくトリオ」は、ずっと続ける気はなかったそうで、

てんぷくトリオはコントをやっていたけれど、もともとみんな芝居をやっていましたから「いつか3人で劇団を持とう」という思いがあったんです。3人のうち誰かに役者の仕事が入ったら、あとの2人は応援する。

それでうまくやっていました。戸塚は私の6歳上、三波は7歳上。それがよかったんじゃないですかね。私はずっと後輩。弟分的な存在で、もめたりすることはなかった。

と、語っておられました。

「伊東四朗の若い頃は小松政夫と電線マンで大ブレイクしていた!」に続く

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