1968年、20歳の時、歌謡歌手として「君にささげる僕の歌」でレコードデビューするも全く売れなかったことから、一旦は歌手を辞めるも、1971年、アニメ「原始少年リュウ」のオープニングテーマを歌唱したことがきっかけで、アニメソング歌手に転向すると、「マジンガーZ」「コン・バトラーV」など、数多くのアニメソングを歌唱し、人気を博した、水木一郎(みずき いちろう)さん。
今回は、そんな水木一郎さんの若い頃から現在までの活躍や経歴を時系列でまとめてみました。
「水木一郎の生い立ちは?幼少期から歌手を志し中学時代は毎日発声練習をしていた!」からの続き
水木一郎が20代の時は歌謡歌手を辞めるもアニメ「マジンガーZ」の主題歌が大ヒットするほかアニソンで600万枚のレコードを売り上げていた
22歳頃に歌謡歌手から退いていた
1968年、20歳の時に、歌謡歌手としてデビューするも全く売れなかったという水木一郎さんは、キャンペーンでビールをお酌して回らないと、歌も聴いてもらえずレコードも買ってもらえなかったことや、売れない歌手に対する世間の冷たさに嫌気が差し、
1970年頃には、一旦、歌謡歌手としての活動から退き、その後は、生活のためにナイトクラブやキャバレーで歌っていたそうです。
23歳の時にアニメ「原始少年リュウ」の主題歌歌手に抜擢されていた
そして、歌手を辞めて作曲家へ転向しようとしていた矢先の1971年、23歳の時、まだ、幼かった堀江美都子さんが、水木一郎さんの先生である和田香苗さんの書いた曲をレコーディングするために、レッスンに来たそうで、その際、水木一郎さんが手本として歌うことになったそうですが、
たまたま同席していたディレクターが、それを覚えていて、
後に、
水木くん、アニソンを歌ってみないか
と、声をかけてくれたそうで、
水木一郎さんは、石ノ森章太郎さん原作のアニメ「原始少年リュウ」の主題歌「原始少年リュウが行く」を歌唱することになったのだそうです。
「原始少年リュウ」のレコード
(「原始少年リュウ」のエンディングは、堀江美都子さんが歌唱しています)
ちなみに、水木一郎さんは、アニメソングを歌うことについて、
当時はアニメの主題歌といえば児童合唱団やコーラスグループが多く、専門で歌うソロ歌手はほとんどいませんでした。ジャケットに自分の顔も出ないし、子ども相手のものと軽く見られていた時代でしたから。
結論から言うと、抵抗はありませんでした。幼い頃から聴いていたスタンダードには映画音楽も多く、いつかは映画主題歌を歌いたい気持ちがあったので。
家庭のテレビと劇場のスクリーンとの違いはありますが、その作品のために作られる主題歌という点では変わりありません。声をかけていただいたのだから、プロフェッショナルとして歌うべきだとも考えましたし、それに『原始少年リュウ』の主題歌って、すごくいい曲なんですよ。
と、語っています。
24歳の時に特撮ヒーローもの「超人バロム・1」「変身忍者 嵐」の主題歌を歌唱
こうして、アニメソングへと活動の場をシフトしていった水木一郎さんは、1972年、24歳の時には、特撮ヒーローもの「超人バロム・1」の主題歌「ぼくらのバロム・1」を歌唱しています。
「ぼくらのバロム・1」
また、同年には、特撮テレビ時代劇「変身忍者 嵐」の主題歌「嵐よ叫べ」も歌唱しています。
「嵐よ叫べ」
ちなみに、水木一郎さんは、特撮作品の主題歌を立て続けに歌唱したことについて、
いろいろなヒーローを演じることができるのは少年の頃から想像好きな僕にはとても楽しいことだったし、これまで体に覚え込ませた様々な歌唱法を作品によって使い分けることができる。
これまでやってきたことは無駄ではなかったと思いました。
と、語っています。
25歳の時にはアニメ「マジンガーZ」の主題歌が70万枚を売り上げる大ヒットを記録
そんな水木一郎さんは、1973年、25歳の時、アニメ「マジンガーZ」の主題歌を歌唱すると、レコードは70万枚を売り上げる大ヒットを記録しています。
「マジンガーZ」
23歳~27歳の時に150曲を発表し600万枚のレコードを売り上げていた
ちなみに、水木一郎さんは、アニメソング歌手に転向してから最初の4年間(1971~1975年)で、150曲の子供向け番組のテーマ曲を発表しているのですが、
600万枚のレコードを売り上げる驚異的なヒットを記録しています。
水木一郎が30代の時はアニメ「宇宙海賊キャプテンハーロック」の主題歌が大ヒット
30歳の時にアニメ「宇宙海賊キャプテンハーロック」の主題歌が初回プレス15万枚となる大ヒットを記録
そんな水木一郎さんは、1978年、30歳の時には、アニメ「宇宙海賊キャプテンハーロック」の主題歌を歌唱しているのですが、こちらも、レコード売上は、当時アニメソングとしては驚異的な、初回プレス15万枚となる大ヒットを記録しています。
「宇宙海賊キャプテンハーロック」
(ちなみに、この「宇宙海賊キャプテンハーロック」の主題歌では、水木一郎さんは、アニメソングとしては異例の、68人の生のオーケストラをバックに歌い上げています)
38歳の時に特撮ヒーロー番組「時空戦士スピルバン」で主題歌&俳優としても出演
また、水木一郎さんは、38歳の時には、特撮ヒーロー番組「時空戦士スピルバン」の主題歌を歌唱するとともに、主人公・スピルバンの父親「ベン博士」役で、俳優としても出演しています。
「時空戦士スピルバン」より。
水木一郎は40代~70代もオファーが絶えることなくアニソンを歌い続けていた
水木一郎さんは、アニソンを歌い始めたばかりの頃は、アニソン歌手として歌っていけるのは30歳までと思っていたそうですが、
(ヒーローのイメージを壊さずにいつまで歌えるか自信がなかったそうです)
アニメや特撮ヒーロー番組の主題歌のオファーは絶えることはなかったそうで、喜んでくれる人がいるならと、70代を過ぎても、アニソンを歌い続けています。
ちなみに、水木一郎さんが30歳を迎える頃には、アニメブームが到来し、大人のファンも急増すると、40代~50代の頃には、当時のアニメを見ていた子どもたちが成長し、子供時代に聴いていた思い出深い曲をまた聴きたいとの声が多く、水木一郎さんは、テレビ番組やイベントに出演して、ずっとアニソンを歌い続けていたそうで、
水木一郎さんは、
おかげさまで、70歳を過ぎた今も、アニソンを歌っています。また、ありがたいことに、毎年新曲を歌う機会にも恵まれています。
ライブやイベントには国内外から3世代のファンが集まり、僕のことも、「『マジンガーZ』の人」から、「水木一郎」「アニキ」と呼んでくれる人が増えました。
アニソンも世界に誇る文化として広く認められるようになって、ようやく時代が追いついてきた感があります(笑)。
と、語っています。
(水木一郎さんは、2001年、53歳の時、香港でライブをしたことがきっかけで、ヨーロッパ、中南米、中東にも呼ばれて公演するようになったそうで、いつのまにか、少年の頃に思い描いていた夢「(日本語のまま)世界に通用する歌手になる」が叶っていたそうです)
水木一郎は74歳で肺ガンにより他界
そんな水木一郎さんですが、2021年、72歳の時には、肺ガンが見つかります。
それでも、闘病しながら活動を続け、2022年11月27日、よみうり大手町ホールで開かれたコンサート「水木一郎・堀江美都子 ふたりのアニソン#19」では、車椅子で出演し、
長年一緒に歌ってきた堀江美都子さんと気心の知れたトークで会場を沸かせていたのですが、
(この時、既に水木一郎さんの体調は、ステージに長時間とどまれないほど悪化していたそうで、水木一郎さんの歌唱をサポートするため仲間の歌手3名が駆けつけていたそうです)
これが最後のステージとなり、水木一郎さんは、2022年12月6日、74歳で、肺ガンのため、他界されたのでした。
谷本貴義さん(左)と水木一郎さん(右)。
「水木一郎の妻・九条万里子との馴れ初めは?恐妻家だった?子供は3人!」に続く
アニメ「マジンガーZ」「宇宙海賊キャプテンハーロック」の主題歌が大ヒットを記録すると、以降、アニメソングや特撮ヒーロー作品の主題歌や挿入歌を歌唱し、70代を過ぎても精力的にアニソンを歌い続けた、水木一郎(みずき いちろう …