1960年代には、東映の看板スターとして日本映画の黄金時代を支えると、1980年代からは、タレントとしてバラエティ番組に出演し、娘の梅宮アンナさんとともに人気を博した、梅宮辰夫(うめみや たつお)さんですが、
36歳の時、精巣ガンが判明すると、その後、次々とガンに見舞われ(計6度)、その都度、克服するも、2019年12月12日、慢性腎不全により81歳で他界されています。
今回は、そんな梅宮辰夫さんの、6度のガン闘病生活や、安楽死を望んでいたことについて、娘の梅宮アンナさんの証言を交えながらご紹介します。
「梅宮辰夫の子供は?娘・梅宮アンナのほか孫娘も養女にして子育てしていた!」からの続き
梅宮辰夫は36歳の時に精巣(睾丸)ガンになっていた
梅宮辰夫さんは、1972年に梅宮クラウディアさんと結婚すると、同年には、娘の梅宮アンナさんが誕生しているのですが、それから2年後の1974年、36歳の時には、精巣(睾丸)ガンが判明したといいます。
ただ、当時、プレイボーイとしてのイメージが強かった梅宮辰夫さんは、精巣(睾丸)ガンに罹患したことを公表せず、ひた隠しに隠し、町医者で摘出手術を受けたといいます。
しかし、その後、大病院で検査を受けたところ、
医師から、
こんな取り方したんですか?やばいです。これは近々肺がんになりますよ
と、言われたのだそうです。
梅宮辰夫はガンが肺に転移し”余命3カ月”と宣告されていた
すると、その医師の診断通り、ガンは肺に転移したそうで、この時、梅宮辰夫さんは、”余命3カ月”と宣告されたそうですが・・・
1年間の放射線治療で寛解し、奇跡的に回復したのだそうです。
ちなみに、梅宮辰夫さんは、それまで、1日4箱のタバコを吸うヘビースモーカーだったそうですが、肺ガンになったことをきっかけにタバコをやめ、銀座で明け方まで飲んで帰る生活もやめると、
2ヶ月に1回、健康診断を受け、半年に1回は、内視鏡による大腸検査、胃カメラによる胃の検査も受けるなど、体調管理に務めたそうです。
(ただ、娘の梅宮アンナさんによると、梅宮辰夫さんは、お酒と美味しい料理が大好きで、自炊するといっても、梅宮辰夫さんの料理はヘルシー志向とはいえず(お酒に合う一品料理が多かったそうです)、糖尿病も抱えていたといいます)
梅宮辰夫は70~80代には、胃ガン、十二指腸乳頭部ガン、前立腺ガン、腎盂・尿管ガンになっていた
そんな梅宮辰夫さんは、30年ほどは大病はなかったそうですが、
その後は、
- 2012年(74歳)には、初期の胃ガン(内視鏡手術で処置)
- 2016年(78歳)には、十二指腸乳頭部ガン
- 2018年(80歳)には、前立腺ガン
- 2019年(81歳)には、腎盂・尿管ガン(左腎臓とともに摘出手術)
と、次々とガンに襲われていたそうで、
78歳の時にかかった十二指腸乳頭部ガンは、高齢だったこともあり、体力面の問題などから、成功率50%と言われる中、手術に臨むと、十二指腸と胆のうを全摘したほか、すい臓と胃の一部を切除する12時間に及ぶ大手術となったそうで、
梅宮アンナさんは、当時、
もしかしたら、これでバイバイかもしれない、という覚悟を持って、手術室の前で、「いってらっしゃい」と言いました。
と、語っていました。
梅宮アンナさんと梅宮辰夫さん。
梅宮辰夫は左の腎臓を摘出したことで人工透析治療もしていた
さらに、梅宮辰夫さんは、左の腎臓を摘出したことで、80歳を超えているにもかかわらず、週3回、4時間にも及ぶ人工透析治療を行っていたそうで、
(もともと、腎臓の片方が小さく、元気な方の腎臓にガンができてしまったのだそうです)
とても辛そうな姿を見ていた娘の梅宮アンナさんは、自分の片方の腎臓をお父さんに移植してほしいと医師にお願いしたそうですが、
医師には
(梅宮辰夫さんは)ガン体質なので、移植をしても半年しかもたないこともある
と、言われたといいます。
梅宮辰夫は病状が進むにつれて家族に対しきつく当たるようになっていた
そして、病状が進むにつれて、梅宮辰夫さんは、苦しさから、言葉がきつくなっていったそうで、
梅宮アンナさんは、
それまで、父は誰に対しても『いいよ~』と度量が大きく、相手に何かを強制するようなことはしなかった。むしろ相手に合わせて、自分のほうから変わろうとするような人でした。私たち家族にとっても優しい“スーパーマン”だったのです。
でも、4年前に十二指腸と胃の半分を摘出してからは、体重が増えず、体がいつも冷たくて、手も氷のようでした。夏でもエアコンの設定温度を30度にしておかないと『寒い』というくらい。
それで私が思わず『暑い』と言ってしまうと、『だったら帰れ!ここは俺ン家なんだから帰れ』とキレるんです。優しかった父の性格や言葉がどんどん変わっていく……その様子を見るのがつらかった。悲しくて、(神奈川県)真鶴の両親の家から東京に帰る車の中で泣きました
と、語っています。
梅宮辰夫の死因は慢性腎不全も安楽死を望んでいた
そんな梅宮辰夫さんは、2019年12月12日、午前7時40分、慢性腎不全により、81歳で他界されているのですが、
生前には、
元気じゃないのに長生きしてもしょうがない
人に迷惑をかけてまで生きていたくない
俺、こんな体でいつまで生きるんだろう
と、安楽死について考えていたといいます。
また、梅宮辰夫さんは、人工透析をやるようになってから、選挙に行くようになったそうですが、車で投票所まで連れて行ってあげていたという娘の梅宮アンナさんが、「誰に入れたの?」と聞くと、
俺は安楽死を望んでいる。いまの日本では安楽死はダメだけど、認めさせようとしている政治家がいるから、その人に入れた
と、言っていたそうで、
梅宮アンナさんは、
それを聞いて、生きること、死ぬことの意味合いをすっごく考えさせられたんですよ。もちろん、父もそれは考えていただろうし。
と、語っています。
1959年、映画「少年探偵団 敵は原子潜航挺」の主演で俳優デビューすると、その後は、「不良番長」シリーズ、「帝王」シリーズ、「仁義なき戦い」シリーズなどの映画で主演を務め、ニ枚目スターとして日本映画の黄金時代を支えた、梅 …