1966年、17歳の時、「寺内タケシとバニーズ」のヴォーカルとしてデビューすると、1982年、33歳の時には、山田喜代子さん(キーボー)とのデュエット「ヒロシ&キーボー」名義でリリースしたシングル「3年目の浮気」が130万枚を売り上げる大ヒットを記録した、ヒロシこと黒沢博(くろさわ ひろし)さん。

今回は、そんな黒沢博さんの若い頃からの活躍や経歴をデビューから時系列でまとめてみました。

黒沢博

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黒沢博のプロフィール

黒沢博さんは、1948年10月18日生まれ、
横浜市西区藤棚町の出身、

身長176センチ、

ちなみに、「黒沢博」は本名で、俳優の黒沢年雄さんは実兄です。

黒沢博は11歳の時にエルビス・プレスリーを聴いて歌手になる決意をしていた

黒沢博さんは、4人兄弟の3男として誕生すると、11歳の時、エルビス・プレスリーの歌を聴いて影響を受け、歌手になる決意をしたそうで、

黒沢博さんは、

僕はプレスリーに影響を受けて、ずっとロックンロールをやってきた。プレスリーの歌で歌えないのはないくらい。

と、語っています。

(黒沢博さんが12歳の時には、お母さんが40歳という若さで他界されたそうです)

黒沢博は17歳の時に「寺内タケシとバニーズ」のヴォーカルとしてデビューしていた

そんな黒沢博さんは、1966年、17歳の時には、「寺内タケシとバニーズ」のヴォーカルとして、ファーストシングル「テリーのテーマ」でデビューすると、翌年の1967年には、「森永エンゼルパイ」のCMに出演するなど、アイドル的な人気を博します。

「寺内タケシとバニーズ」の「 テリーのテーマ」
「寺内タケシとバニーズ」

ちなみに、当時、黒沢博さんは、地元・藤棚商店街にあった八百屋の息子さんと一緒にバンドを組み、アマチュアバンドとして活動していたそうですが、

兄・黒沢年雄さんが、加山雄三さん主演の映画「エレキの若大将」に出演したことで知り合った寺内タケシさんに頼んでくれ、「寺内タケシとバニーズ」に入れてもらったのだそうです。

黒沢博は28歳の時に「藤堂博」名義でシングル「伝言板」をリリースしていた

その後、1971年に「寺内タケシとバニーズ」が解散すると、黒沢博さんはソロに転向し、1976年、28歳の時には、「藤堂博」名義でシングル「伝言板」をリリースするほか、刑事ドラマ「太陽にほえろ!」(第249回)に出演するなど俳優としても活動しています。

(「くろさわ博」名義で活動していたこともあったそうです)

黒沢博の「伝言板」
「伝言板」より。

黒沢博は33歳の時に「ヒロシ&キーボー」名義の「3年目の浮気」が大ヒット

そして、1982年、33歳の時には、「キーボー」こと山田喜代子さんと男女デュオ「ヒロシ&キーボー」を結成し、「3年目の浮気」をリリースすると、

浮気した男とそれを責める女のコミカルなやり取りが人気を博して、130万枚を売り上げる大ヒットを記録し、黒沢博さんは、一躍、人気者になったのでした。

ヒロシ&キーボー
「ヒロシ&キーボー」(山田喜代子さんと黒沢博さん)。

ちなみに、兄の黒沢年雄さんは、自身のブログで、

ある時…仲間の作詞作曲家の佐々木勉さんから…僕が結婚して三年目の頃…佐々木さんから…黒ちゃんにピッタリの曲が出来たから歌ってくれるとの要望…それが“3年目の浮気”…聴いてすぐに気に入らないので断りました。

しばらくして…弟の博が歌ってるではないですか!!それからは皆さんがご存知の大ヒット!それからの博の活躍…とても嬉しかった…しかしそんな状態がいつまでも続くわけがありません…その後は大変だったと思います

と、「3年目の浮気」は、当初、自身に提供された曲だったことを明かしています。

黒沢博が68歳の時には「ヒロシ&ナオミ」として「30年目の本気」をリリースしていた

しかし、その後、黒沢博さんはパッとせず、1984年に「ヒロシ&キーボー」を解散すると、再び、ソロ歌手として活動していたそうです。

そして、2017年9月、68歳の時には、アメリカ出身の歌手、ナオミ・グレースさんとのデュエット「ヒロシ&ナオミ」として、「3年目の浮気」のアンサーソング「30年目の本気~懲りない男のPart2」をリリースしています。

黒沢博とナオミ・グレース
「30年目の本気」を歌唱する「ヒロシ&ナオミ」の黒沢博さんとナオミ・グレースさん。

黒沢博は69歳の時に前立腺ガンが判明していた

そんな中、黒沢博さんは、同年(2017年)12月27日、69歳の時、情報番組「ノンストップ!」で、11月初旬に受けた定期検診で前立腺ガン(ステージ1、転移なし)が判明し、手術せずに治療をすることを明かすと、

絶対克服します。日本全国にたくさんいるそういう(がんを患っている)方を、僕が元気づけたい

と、力強く宣言しています。

黒沢博は70歳の時に映画「30年目の本気~いい年こいてロックンロール~」で初主演

そんな黒沢博さんは、翌2018年、70歳の時には、シングルと同名タイトルの短編映画「30年目の本気~いい年こいてロックンロール~」で、初の主演を務め、

(黒沢博さんが育った藤棚商店街を舞台に、高齢者たちがロックに挑戦するというストーリーだそうです)

何でも挑戦。『だって』なんて言ってちゃダメ。常に現在進行形でやっていきたい

と、語っていたのですが・・・

映画「30年目の本気」の黒沢博
映画「30年目の本気」より。

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黒沢博の死因は白血病

2024年9月6日、兄・黒沢年雄さんがブログで、黒沢博さんが他界されたことを公表しています。

ちなみに、黒沢年雄さんは、黒沢博さんの最後の様子を、

昨夜(9月6日)…口の聞けない博にいっぱい話しかけました…博がいつも、兄貴はスーパーマンだといいふらしていたので…耳元で冗談で”俺はスーパーマンだから全て任せて安心しろ”と言ったら、とても喜び僕の手を強く握り返して涙を流し喜びに溢れていました…数時間いて少し元気になったから大丈夫だろうと、一旦引きあげました

4時間後急変…電話が来て、娘さんが電話の向こうでパパ! パパの叫び声が入って来ました…直ぐに病院に駆けつけると…医師から臨終ですとの言葉…。今は幼い頃の博が頭に蘇って涙がとまりません

と、綴っています。

(黒沢博さんの死因は白血病だったそうです)

お読みいただきありがとうございました

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