近年は、講演会、バラエティ番組への出演など幅広く活動している、黒沢年雄(くろさわ としお)さんですが、実は、これまで、大腸ガン、膀胱ガン、食道ガン、胃ガンと4つのガンに罹患し、合計8回もの手術を受けていたといいます。
今回は、そんな黒沢年雄さんが、ガンと診断された時のこと、手術、その後の経過についてご紹介します。
「黒沢年雄の妻・街田リーヌとの馴れ初めは?要介護?娘は黒沢レイラ!」からの続き
黒沢年雄は当初は痔と診断されていた
黒沢年雄さんは、1989年、45歳の時から血便が出るようになったそうですが、かかりつけの医師に診てもらったところ、「痔(ぢ)」と言われたそうで、これを信じ、座薬を入れて凌(しの)いでいたそうです。
ただ、1992年、48歳の時、お正月休みに家族とハワイで過ごし、ホテルのトイレで用を足した時、血液が大量に出たそうで、
やっぱり痔なんかじゃない。これは、ただ事じゃない
と、帰国後、テニス仲間だった外科のK医師に事情を話し、助言を仰いだところ、
K医師には、大腸ガンの疑いがあるのでなるべく早く内視鏡検査を受けるように勧められたのだそうです。
(K医師は消化器外科が専門で、当時、茨城県にある総合病院の院長をしていたそうです)
黒沢年雄は内視鏡検査により大腸ガンが判明していた
その後、K医師は、都内の公立病院ですぐ内視鏡検査を受けられるよう手配してくれたそうで、黒沢年雄さんは、早速、その病院で内視鏡検査を受けると、S状結腸にポリープが見つかったそうです。
そして、病理検査の結果も陽性で、ポリープの上層部がガン化していたそうで、K医師が院長を務める総合病院に入院し、ガン化したポリープを内視鏡で切除する手術を受けたのだそうです。
黒沢年雄はガンの転移の可能性があると告げられ再手術していた
また、当初は、この手術だけで済む予定だったそうですが、K医師から、切除したポリープが2.2×1.8㎝と、予想以上に大きかったため、リンパ節に転移している可能性があると、ポリープ周辺の腸管とリンパ節を切除することを勧められたそうで、
黒沢年雄さんは、迷いに迷った末、万が一、転移があった場合、数年で死を迎え、奥さんと娘さんに何もしてやれなくなると思ったことから、手術を受ける決意をしたのだそうです。
そして、最初の手術から半月後、K医師の執刀で開腹手術をしてもらうと、手術は2時間ほどで終了し、幸い、リンパ節転移もなかったことが確認されたのだそうです。
黒沢年雄は膀胱ガンにも罹患していた
さらに、黒沢年雄さんは、2008年、64歳の時には、膀胱ガンが判明したそうですが、前回のガン手術の体験があったことから、この時は、落ち着いて手術を受けることができたそうで、手術は内視鏡手術で1時間で終わり、5日で退院することができたのだそうです。
黒沢年雄は胃ガンと食道ガンで計5回の手術を受けていた
そんな黒沢年雄さんは、その後は、定期検査、早期発見、早期治療を心がけていたそうで、2013年には、胃カメラの検査で、胃ガンと食道ガンが判明し、計5回の手術を受けたそうですが、いずれも、大事には至らなかったそうで、
大腸ガンと膀胱ガンの手術を合わせると、合計8回ものガン手術を受けた黒沢年雄さんですが、
壮絶な闘病生活と想像されますが、最初の大腸のがんの体験が僕を大きくしてくれたので、それ以後のがん手術に対する恐怖はなかった。早期発見での手術なので、入院もほとんど数日でしたから
と、語っています。
黒沢年雄のニット帽はガンとの闘いを決意した時に被り始めたものだった
ちなみに、黒沢年雄さんは、長い間、ニット帽がトレードマークとなっていましたが、これは、ガンとの闘いを決意して、頭を丸めたものの、物足りなさを感じてかぶり始めるようになったのだそうです。
(黒沢年雄さんは、大腸ガンが判明した際、当時としては異例のガン公表の記者会見を行っているのですが、この時、それまでのウェーブがかったワイルドなヘアスタイルからつるつるの坊主頭になって登場しており、集まった記者たちは、そんな黒沢年雄さんの姿を見てどよめいたそうです)
また、当時は髪の毛が薄くなっていたことにコンプレックスを感じ、パーマをかけていたそうですが、この手術を機に、恥ずかしい部分もさらけ出し、ありのままの自分を世の中に見てもらおうと、
手術が終わったら、自分を変えよう。これまでとは違う黒沢年雄を見せてやる
という気持ちになったのだそうです。
(抗ガン剤の副作用で髪が抜け落ちて薄くなった訳ではなかったそうです)
1964年、映画「女体」で俳優デビューし、1966年には、歌手としてもデビューすると、「やすらぎ」「時には娼婦のように」「酒とバラの日々」が大ヒットし、以降、数多くのテレビドラマ、映画、舞台、CM、バラエティなどに出演し …