NHK連続テレビ小説「鳩子の海」の原作と脚本を手掛けるなど、テレビ、映画の脚本家として活躍した、林秀彦(はやし ひでひこ)さん。
今回は、そんな林秀彦さんの簡単なプロフィールとデビューからの執筆作品をご紹介します。
林秀彦のプロフィール
林秀彦さんは、1934年9月26日生まれ、
東京都の出身、
学歴は、
学習院高等科
⇒ザール大学(ドイツ)哲学専攻
⇒モンペリエ大学(フランス)哲学専攻
「林秀彦」は本名、
ちなみに、柔道は師範という腕前だったそうです。
林秀彦の父親は随筆家の林謙一で、祖母は連続テレビ小説「おはなはん」のモデルとなった林はな
林秀彦さんの父親は、随筆家の林謙一さんで、林謙一さんは、1962年、「婦人画報」に、母・林ハナさん(林秀彦さんの祖母)の半生を綴った「随筆・おはなはん一代記」を連載しており、同年には、NHK連続テレビ小説「おはなはん」としてドラマ化されています。
(林ハナさんは、1882年4月13日、銀行の頭取だった父親のもと、次女として生まれると、18歳の時には厳格な陸軍中尉・林三郎さんと結婚するも、26歳の時に夫と死別すると、その後は、苦労を重ねながら、2人の子供と明るく生き抜いたそうで、1981年6月12日に99歳で死去しています)
林秀彦は松山善三に師事し映画やテレビドラマの脚本を執筆するようになっていた
林秀彦さんは、学習院高等科を卒業後、ドイツのザール大学、フランスのモンペリエ大学に留学し、哲学を専攻したそうで、
帰国後は、映画監督で脚本家の松山善三さんに師事し、映画やテレビドラマの脚本を執筆するようになったそうです。
ちなみに、林秀彦さんは、学習院高等科を卒業後、インド洋経由で渡欧する途中、なんと、イエメンで悪漢の集団に拉致され、砂漠で殺されそうになったそうですが、
俺は空手の達人だ。俺を殺すならお前らのうちの一人を殺してやる
と、逆に脅しをかけて解放されたそうで、危うく一命を取り留めていたといいます。
(この話は、伊丹十三監督が「小説より奇なり」の中で綴っています)
空手の達人ではないながら、柔道は師範だったという林秀彦さん。
林秀彦の30代の頃の作品
それでは、ここで、林秀彦さんのデビューからの主な執筆作品をご紹介します。
脚本
- 1964年(30歳)「ただいま11人」
- 1965年(31歳)「昨日のあいつ今日のおれ」
- 1966年(32歳)「若者たち」
- 1969年(35歳)「妻と女の間」
- 1969年(35歳)「安ベエの海」
- 1973年(39歳)「体の中を風が吹く」
- 1973年(39歳)「新十郎捕物帖・快刀乱麻」
「昨日のあいつ今日のおれ」より。田村正和さんと芳村真理さん。
小説
- 1974年7月25日(39歳)「鳩子1(海流篇)」
林秀彦の40代の頃の作品
脚本
- 1974年(40歳)NHK連続テレビ小説「鳩子の海」
- 1978年(44歳)「七人の刑事」
- 1982年(48歳)「ホームスイートホーム」
NHK連続テレビ小説「鳩子の海」より。藤田美保子さん。
小説
- 1974年12月1日(40歳)「鳩子2 (風紋篇)」
- 1975年4月1日(40歳)「鳩子3 (天象篇)」
- 1981年(47歳)「生きるための情熱としての殺人」
著書
- 1980年5月1日(45歳)「父親がする娘教育」
- 1982年4月20日(47歳)「ちょっといい女・気になる女:なぜその女性に魅かれるのか」
- 1983年8月25日(49歳)「大地震大虐殺:九月の狂気」
- 1983年1月1日(49歳)「夫婦喧嘩のすすめ」(元妻・冨士眞奈美さんとの共著)
- 1983年12月31日(49歳)「女と別れた男たち」
「ちょっといい女・気になる女:なぜその女性に魅かれるのか」
林秀彦の50代の頃の作品
脚本
- 1984年(50歳)「名門私立女子高校」
著書
- 1987年5月10日(52歳)「非婚のすすめ」
林秀彦の60代の頃の作品
脚本
- 2001年(67歳)「生きるための情熱としての殺人」
小説
- 2003年(69歳)「老人と棕櫚(しゅろ)の木」
著書
- 1996年(62歳)「ジャパン、ザ・ビューティフル」
- 1999年(64歳)「日本を捨てて、日本を知った」
- 2000年(66歳)「「みだら」の構造」
- 2002年(68歳)「失われた日本語、失われた日本」
- 2003年(69歳)「悲しいときの勇気-日本人のための幸福論」
「日本を捨てて、日本を知った」
林秀彦の70代の頃の作品
著書
- 2004年(70歳)「苟(いやしく)も日本人なら知っておくべき教養語」
- 2008年(74歳)「日本人はこうして奴隷になった」
- 2008年(74歳)「日本の軍歌は芸術作品である。」
- 2008年(74歳)「911・考えない・日本人」
- 2009年(75歳)「おテレビ様と日本人」
- 2009年(75歳)「憎国心のすすめ」
「日本人はこうして奴隷になった」
林秀彦の死因は肺炎
そんな林秀彦さんは、結婚を三度しており、1988年には3人目の妻とともにオーストラリアに移住したそうですが、2005年に帰国すると、大分県九重町で暮らし、2010年11月19日、肺炎により、76歳で他界されています。
(葬儀は近親者のみで執り行われたそうです)
「林秀彦と冨士眞奈美の離婚理由は?前妻は?後妻は?子供は娘の岩崎リズと息子(作曲家)!」に続く
1960年代~1970年代、「ただいま11人」「若者たち」「七人の刑事」「鳩子の海」など、映画やテレビドラマの脚本を手掛けるほか、「日本を捨てて、日本を知った」「失われた日本語、失われた日本」など、著作も数多く発表してい …