1956年、18歳の時、NHKドラマ「この瞳」で女優デビューすると、1957年、19歳の時には、NHK専属第一号女優として活動するなど、清純派女優として活躍し、1960年、22歳からは、フジテレビ音楽バラエティ「東は東」で司会を務めるも、
1970年、32歳の時には、一転、「細うで繁盛期」で意地悪な小姑役を演じてブレイクすると、以降、憎まれ役を多く演じて人気を博した、冨士眞奈美(ふじ まなみ)さん。
今回は、そんな冨士眞奈美さんの若い頃から現在までの活躍や経歴を、デビューから時系列でまとめてみました。
「冨士眞奈美の生い立ちは?中2でオペラに夢中!高卒後は新聞記者を目指していた!」からの続き
冨士眞奈美が20代の時は「資生堂化粧品」の専属モデルや女優業で妹や弟を他界した父親代わりに養っていた
20歳の時には「資生堂化粧品」の専属モデルとして活動していた
NHKのテレビドラマ「この瞳」で、主演で女優デビューした冨士眞奈美さんは、その後も、その日本人離れした美しい顔立ちから、1958年、20歳の時には、「資生堂化粧品」のCMに起用され、「資生堂化粧品」の専属モデルとして活動しています。
21歳の時にはテレビドラマ「輪唱」で清純派女優として注目されるようになっていた
また、1959年、21歳の時には、テレビドラマ「輪唱」に、馬渕晴子さん、小林千登勢さんとともに三姉妹役で出演すると、「NHK三人娘」と呼ばれ、清純派女優として注目されるようになったのでした。
記者を目指し、本格的に修行に励む中、「劇団 民藝」がNHKに推薦してくれたことにより、テレビドラマのオーディションを受けると、見事主役に抜擢され、1956年、「この瞳」で女優デビューされた、冨士眞奈美(ふじまなみ)さんは …
「輪唱」より。冨士眞奈美さん(左)と小林千登勢さん(右)。
そんな冨士眞奈美さんは、この頃から暮らしも豊かになったそうで、収入のほとんどを大好きなお酒に費やすなど、貯金もしない豪快な生活を送っていたそうですが、
やがて、
学芸会とか文化祭の延長みたいなことをやってお金を頂いて、これが職業かしら
と、思い悩むようになったそうで、女優をやめようと決意したのだそうです。
21歳の時に再び記者を目指していた
そこで、冨士眞奈美さんは、再び、記者を目指そうと、ちょうどその頃、資生堂の「花椿」のCMをやっていたことから、企業文化誌の広報の人に、記者にしてくれるようにお願いすると、
最初は反対されたそうですが、冨士眞奈美さんが引き下がらずにいると、最終的には、資生堂の社長に会わせてもらい、記者にしてもらったのだそうです。
資生堂「花椿」のポスターより。21歳の冨士眞奈美さん。
21歳の時に父親が他界したことから家族を養うため再び女優で生きていくことを決意していた
こうして、冨士眞奈美さんは、
これで念願の記者になれる
と、思ったそうですが・・・
ちょうどその頃、お父さんが結核にかかってしまい、この年(1959年)に他界されたそうで、
冨士眞奈美さんには、まだ小学生だった弟、妹3人、姉2人がいたことから、家族を養うため、記者(編集者)では無理と、再び女優で生きていこうと決意したのだそうです。
22歳の時には音楽バラエティ番組「東は東」の司会を務めていた
以降、冨士眞奈美さんは、数多くのテレビドラマや映画に出演するほか、1960年、22歳の時には、音楽バラエティ番組「東は東」の司会を務めるなど、バラエティ番組にも積極的に出演しているのですが、
1962年(24歳)頃にはNHK専属契約からフリーになったことで、お金もたくさん稼げるようになったそうで、そのおかげで、弟2人を大学に行かせたり、妹を結婚させるなど、父親的な役割を果たすことができたのだそうです。
記者を目指し、本格的に修行に励む中、「劇団 民藝」がNHKに推薦してくれたことにより、テレビドラマのオーディションを受けると、見事主役に抜擢され、1956年、「この瞳」で女優デビューされた、冨士眞奈美(ふじまなみ)さんは …
冨士眞奈美が30代の時には「細うで繁盛記」での意地悪な小姑役で人気を博し、「パパと呼ばないで」「雑居時代」などにも出演
32歳の時に「細うで繁盛記」で主人公をいじめる意地悪な小姑役で人気を博す
そんな冨士眞奈美さんは、1970年、32歳の時には、テレビドラマ「細うで繁盛記」で、大阪から伊豆・熱川温泉の老舗旅館「山水館」に嫁いできた兄嫁・加代(新珠三千代さん)をいじめる、ヒステリックで意地悪な小姑・正子役を演じているのですが、ドラマは近畿地区で最高視聴率38.0%を記録する大ヒット。
それまで、冨士眞奈美さんは清純派女優として活動していたのですが、このドラマで、一転、憎まれ役を演じたことで、当たり役となったのでした。
かねてより夢だった記者に転身しようとした矢先、お父さんが他界したことから、家族を養うため、女優業を続けられた、冨士眞奈美(ふじ まなみ)さんですが、その後も、順調に女優業を続ける中、1970年、32歳のとき、自身最大の当 …
「細うで繁盛記」より。
34歳、35歳の時には「パパと呼ばないで」「雑居時代」などホームドラマのオファーが殺到していた
以降、冨士眞奈美さんには、1972年、34歳の時には「パパと呼ばないで」、1973年、35歳の時には「雑居時代」など、ホームドラマのオファーが殺到したのだそうです。
1956年にNHKドラマ「この瞳」で女優デビューして以来、清純派女優として活躍するも、1970年、32歳の時には、一転、「細うで繁盛期」で主人公をいじめる意地悪な小姑役を演じてブレイクした、冨士眞奈美(ふじ まなみ)さん …
「パパと呼ばないで」より。
冨士眞奈美の40代~現在(80代)
そんな冨士眞奈美さんは、女優として活動するかたわら、2010年、72歳頃からは、娘の岩崎リズさんと、度々、トーク番組に出演するなど、80代半ばを過ぎた現在も現役で活動しています。
また、プライベートでは、大好きなプロ野球を観戦したり、オペラ、俳句など、趣味を楽しむ生活を送っているそうで、
過去には、初期の大腸ガンを患い、内視鏡で手術をしたこともあったそうですが、かと言って、特に、健康に気をつける生活を送っているわけではないそうで、
強いて言うならば、ずっと好きなものがあるということ、夢中になれるものがあることが、健康の秘訣なのではと思っているそうです。
1956年、NHKドラマ「この瞳」で女優デビューして以来、お仕事では順調にキャリアを積んでこられた、冨士眞奈美(ふじ まなみ)さんですが、プライベートはどのようなものだったのでしょうか。今回は、そんな冨士さんの、結婚、離 …