1954年、「劇団 民藝」に入団し、1957年、舞台「アンネの日記」で女優デビューすると、その後は、「にあんちゃん」などの日活映画で活躍するほか、1978年には、大島渚監督作品「愛の亡霊」で、日本アカデミー賞優秀主演女優賞を受賞した、吉行和子(よしゆき かずこ)さん。

そんな吉行和子さんは、幼い頃は病弱だったため、家で過ごすことが多く、本を読むことが好きだったそうですが、中学3年生の時、劇団「民藝」のお芝居を観た際、本の中の人物が現実に存在し、本のページをめくるように話が進んでいくことに感動して、すっかりお芝居の虜になったそうで、

高校3年生の時には、「劇団 民藝」の募集に、裏方の「衣装係」なら病弱でもできるだろうと応募すると、女優として採用され、22歳の時には、研究生だったにもかかわらず、舞台「アンネの日記」で女優デビューを果たしたといいます。

今回は、吉行和子さんの、生い立ち(幼少期から女優デビューまで)をご紹介します。

吉行和子

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吉行和子のプロフィール

吉行和子さんは、1935年8月9日生まれ、
東京府(現・東京都)の出身、

身長158センチ、

血液型はB型、

学歴は、
女子学院中学校
⇒女子学院高校卒業

趣味は、音楽観賞、オペラ観賞、俳句、海外旅行、

特技は、手芸、パッチワーク、編物、

ちなみに、「吉行和子」は本名で、

お父さんは、作家の吉行エイスケさん、
お母さんは、NHK朝の連続小説「あぐり」のモデルとなった、元美容師の吉行あぐりさん
お兄さんは、小説家の吉行淳之介さん、
妹さんは、詩人・小説家の吉行理恵さん
と、著名な一家です。

吉行和子の幼少期~少女時代は病弱だった

吉行和子さんは、作家の吉行エイスケさんと美容師の吉行あぐりさんのもと、3人兄妹の長女として誕生したそうですが、

2歳の時に、「小児喘息(ぜんそく)」を患ったことから、その後、お父さんの故郷である岡山で療養するなど、病弱な幼少期~少女時代を過ごしたそうで、

家で過ごすことが多く、友達が少なかったことから、本を読むのが好きだったそうで、想像の中で、本の中に登場する好きな人物と一緒に遊ぶことが楽しかったそうです。

吉行和子は中学3年生の時に劇団「民藝」の舞台を観て女優に憧れるようになっていた

そんな吉行和子さんは、中学3年生の時、劇団「民藝」の舞台を初めて観に行ったそうですが、自分が読んでいた本の中の人物が現実に存在し、本のページをめくるように話が進んでいくことにとても驚き、すっかりお芝居の虜(とりこ)になり、女優に憧れるようになったそうです。

吉行和子は高校3年生の時(卒業前)、劇団「民藝」に裏方志望で入団していた

とはいえ、吉行和子さんは、体が弱く、学校でも引っ込み思案だったことから、その時は、女優になるなど夢にも思っていなかったそうですが、

1954年、高校3年生の時(卒業前)に、劇団「民藝」の募集広告を見つけると、絵を描くことや裁縫が得意だったことから、「衣装係にでもなれれば」と思い、すぐに応募し、受験すると、見事合格したのだそうです。

また、裏方でやっていきたい旨を伝えるも、”女優候補”として採用されたそうで、吉行和子さんは、「民藝」の俳優研究所に通うことになったのだそうです。

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吉行和子は22歳の時に研究生にもかかわらず舞台「アンネの日記」で女優デビューしていた

そんな中、吉行和子さんは、劇団「民藝」で、舞台「アンネの日記」を公演することになったそうですが、まだ研究生ながら、主人公のアンネ・フランク役に抜擢されたそうで、1957年、22歳の時、舞台「アンネの日記」で女優デビューを果たしたのでした。

(オーディションで選ばれたアンネ役の人が、風邪で声が出なくなってしまったそうで、その代役として、吉行和子さんに白羽の矢が立ったのだそうです)

「【画像】吉行和子の若い頃は?デビューから現在までの経歴を時系列まとめ!」に続く

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