1956年、ニッポン放送の「ものまねのど自慢」に優勝したことがきっかけで芸能界入りすると、1961年には、シングル「おひまなら来てね」でブレイクし、
その後、結婚により、一旦、芸能界を引退するも、1971年、芸能界に復帰すると、1975年には、映画「五月みどりのかまきり夫人の告白」で再ブレイクを果たした、五月みどり(さつき みどり)さん。
今回は、そんな五月みどりさんの若い頃から現在までの活躍や経歴をデビューから時系列でまとめてみました。
五月みどりは16歳の時に「ものまねのど自慢」で優勝しスカウトされていた
五月みどりさんは、1956年、高校1年生(16歳)の時、「ものまねのど自慢」に出場すると、見事、優勝し、審査員だった作曲家の宮城秀雄さんからスカウトされて宮城秀雄さんに弟子入りしたそうですが、
すぐにデビューとはいかず、レコード会社の廊下の椅子に座り、声をかけられるのを待つ日々だったそうです。
五月みどりは19歳の時にファーストシングル「お座敷ロック」で歌手デビュー
そんな五月みどりさんは、1958年、19歳の時、ファーストシングル「お座敷ロック」で歌手デビューを果たすのですが・・・
売上はパッとしませんでした。
「お座敷ロック」
五月みどりは当初は次々にシングルをリリースするもパッとしなかった
そして、その後も、五月みどりさんは、
- 1959年(20歳)「あなたの名は赤とんぼ」
- 1959年(20歳)「僕が女房を貰ったら」(フランキー堺さんとデュエット)
- 1959年(20歳)「母恋馬子唄」(こまどり姉妹の「三味線姉妹」のB面)
- 1960年(21歳)「お別れかいな旅人さん」(花村菊江さんの「潮来花嫁さん」のB面)
と、立て続けにシングルをリリースするのですが、どれもパッとしませんでした。
「母恋馬子唄」
五月みどりは21歳の時にシングル「おひまなら来てね」が大ヒット
そんな中、1961年5月、21歳の時、「おひまなら来てね」をリリースすると、これまでの歌手にはなかった愛らしくチャーミングな美貌と美しい”ちりめんビブラート”により、この曲は大ヒットを記録。
これで、たちまち人気者となった五月みどりさんは、翌年の1962年には「NHK紅白歌合戦」に初出場を果たしたのでした。
ちなみに、五月みどりさんは、3年間売れず、4年目のある日、レコード会社の廊下で、作曲家の遠藤実さんから、
君に合いそうな曲ができた
と、言われ、
続けて、遠藤実さんがその場で
おひまなら来てよネ~
と、歌ったそうですが、
五月みどりさんは、その瞬間、ビビッと勘が働き、
私に歌わせてください
と、お願いしたそうで、
この「おひまなら来てね」を、歌うことになったのだそうです。
(当時、新人は、主力歌手のB面としてシングルをリリースしていたそうで、この時、五月みどりさんは、神戸一郎さんのB面としてリリースされたそうです)
幼少期は、芸事好きのお父さんに強制的に稽古をさせられていた、五月みどり(さつき みどり)さんですが、結果的には、高校1年生の時に出場した、ニッポン放送の「ものまねのど自慢」に優勝したことをきっかけに、芸能界入りされます。 …
五月みどりは人気絶頂の25歳の時に結婚して芸能界を引退していた
その後、五月みどりさんは、人気絶頂だった、1965年、25歳の時に結婚し、芸能界を引退しています。
人気絶頂の中、25歳で結婚し、一旦は芸能界を引退するも、31歳で離婚し、復帰すると、36歳の時には、ポルノ映画「五月みどりのかまきり夫人の告白」で再ブレイクを果たした、五月みどり(さつき みどり)さんですが、その後も、結 …
五月みどりは36歳の時に「五月みどりのかまきり夫人の告白」で再ブレイク
ただ、1971年、32歳の時に離婚すると、その後、芸能界に復帰すると、以降、タレント、女優として活動し、
1975年、36歳の時には、ポルノ映画「五月みどりのかまきり夫人の告白」で、夫の浮気に嫉妬し、なまめかしい肉体を武器に、次々と男たちを誘惑して破滅させる、主人公の魔性の女を演じると、再ブレイクを果たしています。
「五月みどりのかまきり夫人の告白」より。
1956年、16歳の時、ニッポン放送の「ものまねのど自慢」に優勝したことがきっかけで芸能界入りすると、ベトナムでの人気を経て、「おひまなら来てね」でブレイクされた、五月みどり(さつき みどり)さん。今回は、そんな五月さん …
五月みどりは37歳の時に「クイズダービー」にレギュラー出演
そんな五月みどりさんは、日活ロマンポルノに出演するかたわら、1976年からスタートした「クイズダービー」にも2枠のレギュラーとして出演し、タレントとしても活動しています。
「クイズダービー」より。一番上の右端が五月みどりさん。
五月みどりが40代の時には「悪女かまきり」ほかポルノ作品で主演
また、五月みどりさんは、40歳を過ぎても、
- 1982年(43歳)「マダム・スキャンダル 10秒死なせて」
- 1983年(44歳)「悪女かまきり」
- 1983年(44歳)「奥様はお固いのがお好き」
と、ポルノ作品で主演を務めると、若々しい肉体と大胆な演技で多くの男性を魅了し、熟女ブームの先駆けとして活躍したのでした。
「悪女かまきり」より。
ちなみに、五月みどりさんは、ラブホテルを経営していたこともあったそうです。
16歳の時、ニッポン放送「ものまねのど自慢」に優勝したことがきっかけで芸能界入りすると、22歳の時には、「おひまなら来てね」でブレイクした、五月みどり(さつき みどり)さん。人気絶頂の中、一旦は、25歳で結婚し、芸能界を …
五月みどりが50代~60代の時は熱海の雑貨店のティッシュボックスが人気
その後、五月みどりさんは、芸能活動のかたわら、熱海で雑貨店も経営すると、五月みどりさんがデザインを手掛けたティッシュボックスが人気を博し、
1998年、59歳の時からは、週4回、ティッシュボックスを作る教室も開いていたといいます。
五月みどりの70代~現在(80代)は熱海の雑貨店を全店閉店
そんな五月みどりさんは、2018年、79歳の時には、トーク番組「徹子の部屋」で、娘の千愛(ちえ)さんと共演するほか、
2019年、80歳の時には、テレビドラマ「やすらぎの刻~道」に出演しているのですが、以降、芸能活動から遠ざかっています。
(2023年の大みそかに、かつての人気バラエティー番組「伊東家の食卓」が一夜限りの復活をした際も、当時レギュラーだった五月みどりさんは出演を辞退しています)
息子の元嫁・菊池桃子さんとの関係が取り沙汰され、再び注目された、五月みどり(さつき みどり)さんですが、現在、五月さんは、熱海をはじめとする4つのお店を経営されており、その主力商品である、五月さんデザインのティッシュボッ …
また、人気だった、熱海の雑貨店3店舗(「熱海店」「熱海中央店」「湯河原店」)も、2024年8月までに閉店していたそうで、お体の具合が心配されたのですが、
五月みどりさんのマネージャーで、事実婚状態にあるという個人事務所の代表は、週刊誌の取材に対し、
いやいや、こちらから積極的な売り込みはしませんが、無理のない範囲だったら、(芸能界の)仕事はお受けしますよ
と、五月みどりさんが元気であることを明かしています。
また、五月みどりさんの弟さんも、
特に変わりないと思いますよ。数年前から言っていることが“あれ?”ということもありましたが、それは年のせいもあるし、きょうだいなら気にならない程度です
と、語っており、体調不良という訳ではないようです。
さらに、弟さんは、(雑貨店の閉店を知らなかったそうですが)
妹が毎週、泊まり込みで店の手伝いに行っていましたが、最近も特に何も言っていませんでした。私は姉とは数年前に電話して以来、会っていませんが、何かあれば、きょうだいで助け合いたい気持ちはあります。
でも、今の姉には“ご主人”がついていますし、急にきょうだいが出てきたら財産目当てと思われるのもイヤで、遠慮しているんですよ。口出しするより、ご主人に任せたほうがいいということでね
とも、語っており、
五月みどりさんは、ご主人やごきょうだいのサポートを受け、今はのんびり暮らしているのかもしれませんね。